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  映像研究

2014-01-01から1年間の記事一覧

『アウフォト』という雑誌を見ることからはじめてみる

・あっという間に11月が終わっていた。日々を慌ただしく過ごす。継続して考える。そういえば少し前から機会があれば見返したいなと思っていたのは『アウフォト』という雑誌で正式な(?)名称は『out of photographers』ということだけれども、その雑誌の1号…

木の様子と住むことについて

・木曜日は家の人と二人ともに仕事を休みにすることができたから、ドライブへ出かけた。箱根の「ポーラ美術館」の『紙片の宇宙 シャガール、マティス、ミロ、ダリの挿絵本』という展覧会を観ることを目指しつつも、日常の生活圏内から少し離れた場所へ行くこ…

木を見る場面

・NHKで放送されている『昨夜のカレー、明日のパン』を観ている。テレビがないのでコンピュータ・ネットワークに流れ込んだそのドラマを観る。こういうときには家にテレヴィジョンがあっても良いかもと思わないこともない。いずれにせよ、それを4話まで観て…

書き残しておきたい事柄はいくつもある(季節の変わりめに風邪を引い

・書き残しておきたい気持ちはいくつもある。10月も後半になってしまった。21日、22日、そして23日は雨。降ることで季節がすっかり変化してしまうように思った冷たい雨が降る。フリースを着たけれどもゴアテックスのジャケットはまだやめておく。首に何か巻…

物と光の日記

・毛の物を使わずに10月を過ごすことができなかった。ウールの靴下にウールのニット。あるいはフリースを着て寝る。どうにかコットンとヘンプでやり過ごしたかったけど寒かった。秋が深まる。秋が深まると朝晩は寒い。この季節を良い季節だと思う。秋になる…

課題について

・従姉妹の結婚式のために週末に大阪へ行く。可能であれば1泊2日で小旅行と洒落込みたかったけれども、いろいろな事情から日帰り。朝早く家を出て新幹線に乗る。結婚式に出席してまるで社会の人のような振る舞いを数時間したのち再び新幹線に乗って(寝て)…

2014年10月の東京の感じ

・時代は20年周期でリバイバルするとか。90年代は(かなり忠実に、というかわりとそのまま)戻ってくるのかどうなのか。映像の画質だけが、解像度だけが違う。

木が倒れる

・2014年10月9日(木)。家を出たところで偶然に木を切る作業をしているところを見る。家の近くにある木の中でとりわけ気に入っている木だったから、倒されるまでしばらく見てしまった。倒れるのは一瞬。バサーっという音がする。

遠くと近く

・しばらく「遠い時間」について考えていたかもしれない。具体的な過去や、具体的な未知について考えるというよりは、むしろ「遠い時間」とただ言葉にしてみて、そのことから何を考えることができるか。問いがある。問いを立てることあるいは仮説を立てるこ…

許された事

・「わたしたちに許された特別な時間の終わり」という言葉は、元々はチェルフィッチュの演劇の題名だったものが、最近上映されている映画の題名にもなっている。あらためてその言葉を面白い言葉だと思う。その言葉はどこか「わたしたち」を遠くから見つめて…

10月になった

・10月になる。季節はめぐり夏からずっと金曜の夜が楽しみだったNHKの『ニッポン戦後サブカルチャー史』は昨日で最終回。良い番組だった。「サブカルチャー」の対抗的な意義に最後まできっちりと軸足を置きながらいくつもの作品を貫くように線を引く。時代ご…

日記

・最近購入した田中功起さんの『必然的にばらばらなものが生まれてくる』という本を読んでいた。作品の記録のようなテキストも、作品の説明のようなテキストも、作品を制作する中で考えられた事柄も、エッセイのような文章も、それぞれ読むことから色々なこ…

2014年のパサージュ論について

・観たつもりで観ていない映画があるように、読んだつもりで読んでいない本がある。読んだことにしている。読書感想文も書けるかもしれない。しかし読んでいなかった。ヴァルター・ベンヤミンについての本を読んでいると、当然のことながら『パサージュ論』…

物と思い出についての問い

・かつて「物より思い出」というコピーがあったことを思い出す。そのコピーを聞いて、ああそうかもしれないなと思った。あるいは「記録より記憶」というフレーズがいつの頃からか聞かれるようになって、それを初めて聞いたときにはなるほどうまいことを言う…

「写真のなかに特別な、何を求めていたかということについて」

・写真を撮るということ、そして写真を見るということについて、何度でも同じようなことを考える。その都度考えは変化するあるいは更新される。目の前の光景をカメラという機械で記録するということには、どのような意味があるのか。そのことからたびたび「…

2014年の8月の終わりに熊本へ行く

・8月30日から3泊4日で熊本へ家族2人で旅行へ行く。そのうち2泊はそれぞれの友人の家に1泊ずつ泊めてもらう。東京から離れた場所で生活する友人の暮らしを知ること、そのこと自体がこの旅行の目的でもあったかもしれない。飛行機で行くと仕方がないけれども…

言葉について、話し方について

・ここ最近『ニッポン戦後サブカルチャー史』という番組を楽しみにしていて、それに関連して「70年代」や「80年代」そして「90年代」について、考えたりしている。早く自分が知っている「90年代」来ないかな、と思っていたりする。そしてこの期間(7月後半以…

再び裾野へ

・ロングトレイルのような夏。ロングトレイルという解釈で歩き通そうと思っていた夏の終わり。8月24日に千秋楽的に一旦の業務終了。山道を下って降りて一度街の方へ戻るような心持ち。折しも天候が崩れて夏の夏らしい日差しはどこかへ行ってしまった。キリン…

回想をつづける

・若葉台の駅前のコーヒー店のエア・コンディショナーが復旧したようなので、そこにいる。もうすぐ夏が終わる。「またひとつ夏が終わる」というのは90年代のスピッツの曲で、その曲を聴くといつでも高校のホームルーム合宿で真冬に沖縄に行ったことを思い出…

夏と加速あるいは夏の回想

・2014年8月20日。少しだけ空いた午前中に、時間の節目を見つける。若葉台の駅前のコーヒーショップの入り口には「エアコンが壊れてます申し訳ありません」と張り紙がしてあって、お客は誰もいなかった(営業はしている)。よっぽど入ろうと思ったけれども、…

2014年の夏の真ん中

・2014年8月5日(火)の午前10時。若葉台駅前のコーヒー店にて。いま、ここが2014年の夏の真ん中だと思った。朝から暑い。からだはこの数週間ですっかり暑いことに慣れたのだから、むしろ容赦ない冷房から身を守るために適切なシャツあるいはカーディガンを…

避暑について

・暑さを避けることができるのか。家は暑い。しかし家の中でも1階は涼しい。だけれども家の主要な機能は2階にある。ゆえに家を出て駅前のコーヒー店にて本を読んだりコンピュータを操作したりしている。夏になり、夏はハードだ。これから一ヶ月間、無事で済…

ある時間

・ある時代の特徴、その時代に生きる人の特徴、考え方の特徴、生活の特徴を考えることは、どのくらい必要なことなのか。世代論と呼ばれることもあるだろう。類型化することには気をつけるべきだ。しかし条件に規定されるということがある。ある態度が革新的…

0711の日記

・7月11日。台風が来て、東京は大きな影響がなかったけれども、台風が去って、晴れて暑い。日々の雑務に必要以上に追われながら、辛うじて本を読んでいる。本とはつねに「辛うじて」読むものだし、本を読むということは、生活の中で日々の雑務に追われながら…

日記

・個人的なことだけれども(個人的なことを書くことが目的だけれども)家の周囲の環境が大きく変わっている。すぐ裏のブルーベリー畑が有ったところは幅の広い道路が通るための整備をしている。少し歩いたところにある鬱蒼とした雑木林はすっかり切られてし…

戦争に反対する

・自分が生きている間に国会議事堂前で「戦争、反対」とシュプレヒコールをする日が来ると思っていなかった。最初はただそのことが切なくて呆然としてしまったけれども、しかしその場で自分がすることをする。声を出すあるいは見る。見ることには力がある。…

戦争について

・ヴァルター・ベンヤミンについて勉強したいと思っている。そのようなことをふと考えたのは、今年の1月に提出した修士論文の口頭試問の場で指導教官から色々なコメントをいただいた後で最後に「ポストフォーディズム、コントロール社会、認知資本主義、そう…

写真を撮ること、それも練習

・写真を撮ることを忘れていて、忘れていたからには、急に思い出した。「Flickr」をやっていた。Flickrに写真をアップロードする日常があり、Flickrにアップロードされた写真を見ることで季節とともに変化する友人知人の生活を知るような日常があった。しか…

雑誌と岡崎京子とドリカムについて

・マガジンハウス『GINZA』の雑誌特集を読む。とりわけ楽しみにしていたのは「17歳の私へ オリーブが教えてくれたこと」という記事で、まさに今から十数年前の17歳の自分にとっては「3日と18日はオリーブの日」だったのだから、コンビニでそれを買い求め、ひ…

記録する、試してみる、練習する。

・日々色々なことがあるけれども、その色々なことを、その色々なことのいくつかを、可能な範囲で記録しておこうと思う。何となく、普通に記録しようとすると、気分のこと、あるいは気分の変化のことを記録してしまいそうなときに、そうはせずに、あったこと…