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  映像研究

17,480

・202403162139。帰宅する京王線で書いても良い。久しぶりによく歩いた感じがしてスマートフォンを見れば、17,480と表示されていた。

 

・出張に出掛ける家族を車で駅まで送る朝。春らしい朝。

 

・支度をして恵比寿へ。東京都写真美術館で「木村伊兵衛 写真に生きる」を鑑賞する。意識して木村伊兵衛の写真プリントをはじめて見た。数ヶ月のあいだ写真集を眺めていたが展示されたプリントを見たことで少しずつ分かってきたように感じる。確かになにかが掴まれているが、特に横位置で撮影された写真には、明確な意思のようなものを感じない。曖昧さと軽やかさの緩衝。そしていずれの写真も人間の身振りを見せている。その確かさの力。「記憶:リメンブランス」も鑑賞する。

 

茅場町に移動して清野賀子の写真の展示を見る。壁に掛けられている3枚の写真をしばらく見る。この写真についてもう少し考えて言葉にすることができるならばといつも思う。

 

・上野へ移動して藝大のゲームコースの展示を見る。かつての学生と少し立ち話しつつ、作品を新鮮に感じる。極端にゲームに明るくないが、ゲームというもの自体から考えられることもある。これも映像。勉強したい。

 

新宿三丁目で下車して伊勢丹メンズ館に引き寄せられつつ無印良品で必要な衣料品だけを購入する。無印良品週間だった。

 

・夕方から夜まで職場で準備。部屋の掃除、プリントの作成、パワポ的なデータ、合間に電話、などしているとあっという間に時間が消える。「ここまで準備した」と言い切れることが大切と思い出した。

 

・明日がこの春の最初の小さな山場。出張中の家族から良い写真が送られてきた。帰宅して横になり目を閉じれば。

ただ

・書いておく記憶。

 

・ただひたすらに家でノートPCを見る一日。このような一日が心身にとって良いはずがないことを知っている。しかしそれが必要であるとして。

 

・授業の教材となりそうな映像を探す。ほんとうに正直に言えば今の自分は映像を視聴して、新鮮な驚きを感じることがない。おそらくないだろうなと思いながら調べている。ことにより本当に驚かない。これもまた負のスパイラルなのか。しかし、驚かない、ということを認めた上で、なおかつ可能なリサーチもある。映像コンテンツそれ自体に驚くことがなくとも、それを繋げていくことで、ある文脈が立ち上がり、そのことに興奮することはある。そういう姿勢。

 

・午後にオンラインで会議。言いたい意見を少し切り取り少し薄めて発する。届き響くために。薄めてはいるがぼかしてはいない。

 

・こうして家から一歩も出ないで今日は終わる。少しだけ飲酒して早めに横になる。すぐに意識は消える。

・202403141855。帰宅する京王線で書いてみる。3月の中心。

 

・午前中は家で業務の準備。17日のイベントに関わる諸々を後回しにしていた。逆算して気づいて慌ててはじめる。手が止まったならば並行して業務ではない19日の勉強会の準備。いずれにせよ準備ばかりしている。準備とは何か。ある時間を想像する。準備に特有の力と困難。休みながら。

 

・昼過ぎに外出。肌寒い春の陽気。服装に工夫が求められる。

 

・自転車で駅まで向かうなかで、ふと深呼吸が難しいことに気がついて、それはからだのこわばりによるものと分かる。深く息を吸い込むことに抵抗があり、その抵抗により面倒と感じるように、主に上半身がセットされているように思う。良くない兆候。できるかぎり伸ばしながら電車内。降りてカイロプラクティックをさっと予約できた。

 

・職場に向かう前に区民センターの会議室を予約しに行く。エレベーターから外が見えると写真を撮る。

 

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・職場で準備の作業を2時間。合間に各種の連絡。そろそろ退勤しようかと思ったときに職場で時々一緒に仕事をする方と映画の話題になる。『夜明けのすべて』についての感想を聴く。とても深い理解を聴きながら自分も話したかったことを話す。今度映画を見る勉強会をしましょうと話す。

 

・途中下車しておつかい。のちカイロプラクティック。施術中は身体を自分も点検しているような感覚がある。この身体を「自分の」身体と思う不思議。単純にそして複雑に動いている。動いていることそれ自体は言語と一切の関係がないことも不思議。しかし言葉が影響することもある。日頃は色々忘れている。春には思い出すこともある。

 

・帰宅して夕食。ちょうどヤフオクで購入した『夜明けのすべて』のパンフレットが届いていた。

勉強

・202403131954。作業を終えて書いておくメモ。

 

・昨日業務のあと同僚と軽く飲食した際に「明日は何をしていますか」という話になり、少し考えて「明日は家で勉強します」とこたえる。家で勉強する自由。家で勉強する幸福ないし猶予。授業の準備でもあるから締切のある仕事と言えなくないが、言わなくても良い。これは勉強。調べるために読み調べたことを書き出す。次第に少しずつ「分かってくる感じ」がある。その「分かってくる感じ」に向かって進んでいる。

 

・朝一番で区民センターを予約。色々な準備を並行して進める。

 

・歌詞のある音楽を流すと作業の進みが鈍くなることを知りながら、主に柴田聡子『Your Favorite Things』を聴いている。冒頭の『Movie Light』、後半の『Reebok』、タイトル曲の『Your Favorite Things』など特に素晴らしく、何度繰り返しても新鮮に聴こえる。土曜日に『SELF AND OTHERS』を見た流れで佐藤真のエッセイも読み直し、その中でエリック・ロメール緑の光線』について書かれていた部分が印象に残っていて、その映像の記憶と響き合う感じもある。ジャケットの印象か。柔らかい自然光のイメージ。照っていて揺らいでいる。

 

・佐藤真がエッセイで木村伊兵衛について「乾いた写真」と書いていて、その言葉を読むことで写真の見え方が少し変化したように思う。映っているのは日本という場所の昭和時代の各地の様子だが、その雰囲気に引っ張られすぎなければ、さっとカメラを取り出して写したような、上品かつ無慈悲に断ち切ったような画面に、見る者を惹きつける魅力を見出せることに気づいた。同時に、このような意味での「写真」は、この世界には、二度と出現することがないだろうと思う。技術を含むこの社会の必然と思えば羨む必要はない。けれども。

 

・映像なるものそれ自体には「正しさ」も「倫理的な役割」もない。どちらかと言えば、おぞましいほどにただ人の欲望を映し出すことも多い。けれども、その映像というものを指差して、拾い上げて、人が善く生きるべく学ぶためにこそ磨くこともできるだろうか。「こういうことを考えるようになってしまった」と数年の間で何度か思う。特に春。自分の目的を思い直すために。あとどれくらいこの身体がこのように動くのだろうかとも思いながら。必要なことを書き出しても良い。思考。歴史に学ぶこと。膠着しない仲間との助け合い。

 

・夕食のために中断する。

 


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話して伝える

・202403122137。駅から家まで歩く道で(気をつけながら)書いても良い。朝から夕方までの業務。話すことで一日が消えたように思う。話す言葉とともに一日が消えようとしているとも思う。話した言葉は文字ではない。振り返っても点検することはできない。だから話したはずの言葉の意味ではなく言葉を発していたときの自分の感覚を思い出してみる。いつにも増してエクスキューズが先立ち冗長でありその後に本当に伝えたい言葉の意味を弱めていたのではないか。前提を共有したい、というか、あり得るすべての反応を挙げてそのすべてをつぶすように話しているかもしれない。丁寧な支配。自由な対話は別にあるように思う。なにもおそれずに飛び出すように最後の言葉を投げることから話し始めても良いはずだった。