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  映像研究

素材と準備

・202112042229。土曜日の一日を家で過ごす。9:00にデスクに座ったならば「表象文化論学会研究発表集会」に接続してみる。10:00からは「多摩美術大学アートアーカイヴシンポジウム」にも接続してみて、聴きたい発表を行ったり来たりする。接続しつつあわよくば自分の作業もと考えていたが、人間は一度に、別のものを、見て、聞いて、メモを取り、読み、考えることは出来ない、という当然のことを確認した。勿体ないと思って一度に同時に色々なことをしようとしてしまうことを反省している。

 

・午後は諦めて発表を聴く時間と、本棚の本から考える素材を探すことを交互にしてみる。来週前半の作業に向けて贅沢な準備の時間。しばらくは実験的に、午前と午後で別のブロックを書くことを試してみようと思っている。ダメそうならばやめる。作業のしかたももっと試したい。思考が固まってしまわないように。かつ持てる力をすべて自分の作業に注げるようなしかたを探りたい。

 

・家族が帰宅したタイミングで夕食。「ホワイトセロリ」という葉物にたこぶつとオニオンスライスさらに特価品のディルを和えたサラダを制作して満足。いつものNHKオンデマンドで『ドキュメント72時間』は、愛知県の湾岸のスケボーパークの回。ロケーション的にも、題材的にも、『ドキュメント72時間』のお手本のような回だった。やや整い過ぎのようにすら感じるが、ともかく、ある場所を定点観測することに特有の充実を味わう。あるいは少しだけスケボーをしたみたくなる。映像は人を引きこみその生活や生き方に揺さぶりをかける力を持っている。

 

・どんどん冬の本体に接近していることを感じながら。リビングのホットカーペットをつける。ファンヒーターのタイマーをセットして眠る。

二倍

・リビングの壁に貼られたカレンダーを見ながら「もういくつ・・・」と発する。ここしばらく年末の年末らしさについて考えていたのはもちろん今が年末に差し掛かりつつあるからだが、すっかりと年末に突入してしまえば年末について考えることはない。考えることはない、というか、考える余裕がなくなる。

 

・今日は午後から業務だった。午前中に家を出てふたつ隣の駅で途中下車して喫茶店で珈琲豆を買う、というこれは備忘録。職場の最寄駅に着いたならばキッチンカーでチキンのお弁当を購入する。ハワイ風のデザインが施されていたカーだったし、チキンの方向性も洋風、ピクルスが添えてあったが、一方で白米には「のりたま」が振り掛けてある。久しぶりに「のりたま」を食べた。たまに「のりたま」もいい。

 

・ひたすらに紙をコピーする、そして、ひたすらに作品に点数をつける一日。学期末の過酷なタイムテーブルをチーム同僚と共に切り抜ける。気を抜くと業務上必要なパワーを超えてアクセルを踏みそうになる。21:30に終了。急いで帰宅する。

 

・家族が食事の準備をしてくれており、熊本から先月末に届いた野菜の「かぶ」を焼いたものが料理されていた。そういえば自分はこの「かぶのソテー」が好物だった。ひとりで暮らし始めて最初につくった料理が「かぶのソテー」だった。ときめいたから写真を写す。さらにいつかの『あてなよる』で制作されていた「大根のフリット」が再現されていた。おいしい。

 

・今夜は金曜日の夜だった。OVER THE SUN風に「よくぞよくぞ」と言いたいが、実際に自分は今年度、月曜日から水曜日まで自宅で作業をし、木・金・日と業務に出掛けていることが多いから、「よくぞ」も何もなかった。「自分の週末」のほかに「一般的な週末」も味わっている。週末が二倍の生活。

 

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もう一度カレンダーを書く

・後から書いておく記録。休日を経て午前中は家で作業。いつもの手書きのカレンダーを書く。2021年12月と2022年1月。202、と書いて、一旦「1」と書いて慌てて消す。「2」だった。2022年が確かに迫り来ることを知る。書いたカレンダーをデスクの横に貼る。

 

・作業ができる日を数える。その少なさに震える。しかし見ることが大切。直視することも大切ならば目に入ることも大切。現在過去未来を目にするためのカレンダー。

 

・そういえばかつて学生であった人から展示のおしらせを貰っていたなと思い出して、少し早く出る。下北沢経由で乃木坂へ。国立新美術館。展示はさっと鑑賞したところで新宿三丁目で途中下車して少し買い物。その後職場へ。完全に年末らしさの中でひたすらに準備をする。

 

・移動中の電車では、國分功一郎・千葉雅也『言語が消滅する前に』を読んでいる。色々と考えることがある。いつかその考えをまとめてみたい。

 

・職場に4日置き忘れていた水筒を回収して帰宅。

 

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休日、と言うと

・後から書いておく日記。12月が始まる日。

 

・忙しいことも慌ただしいことも無いに越したことはないという意味で、年末の年末らしさを考えると恐ろしくあるが、一方で、みんな忙しく慌ただしいなかでよくやっているよね、とか、ちょっといまやばいからフォローし合っていこう、とか、そもそも今年を通してよくがんばったと言えるのでは、というふうな雰囲気は少しいやかなり好きではある。本来そのような言葉を掛け合うことを儀式化した「忘年会」という制度があった世界だった。肩をばしばし叩き合い、肩を叩き合うことが惰性に移る頃、段々と肩を叩く力が強くなり、もはや感謝やねぎらいなのか、日頃の鬱憤なのか、単に上半身を動かしたいだけなのかわからなくなり、叩いたり叩かれたりしている内に、大トリは、とか、今年の一字は、とか、言ってると鐘が鳴って強制終了。年末を、そうした高まりとしてイメージしていたかもしれない。

 

・昨日まで続けていた作業を一旦やめて、今日は休日にする。今日は休日、と言うと普段どれだけ仕事しているのかと介入されそうに思い身構えさえするが、そういうことではない。Wordもテキストエディットも開かない日があっても良い。あってしかるべきという思想。去年の今日の日記を辿って読んだならば「今日から論文を書き始める」と書いてあり、おおそうかと思う。その一年後に今いる。

 

・冬の嵐が去った午前中は、家の布という布を洗う。カーテンを洗い、家族から提案された通りに窓を拭く。窓を拭くと年末の年末らしさが一挙に迫って来た。カーテンを洗ってカーテンとして吊るすことで干す。吊るすことで干せないカーテンはベランダに干す。カーテンの向こうにカーテン。数日前には灯油も買った。水も買った。衣替えの最終段階も。大掃除と年末の為すべきことを12月に点在させる作戦。それが休日の今日にはちょうどよかった。あと領収証の整理も。

 

・全部の布を干し終わり、階段を拭くなどして、荷物を受け取る予定は明日に変更して、ドライブへ。半日あると多摩川沿いから国道16号のコースになる。なぜだろうと考えたが、有料道路ではなく、しかしそれなりに「走っている」と感じられるのは、家の近くでは、16号くらいだった。福生で車を停めて古道具屋など見る。このまま青梅や飯能まで行ってみようかとも少し考えるが、それはまた次の機会に、と考えて、入間のアウトレットパークを折り返し地点にして帰路。

 

・去年は12月7日にまったく同じような休日を過ごしていた。

 

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11月30日

・202111302241。昨日に続いて風呂場で半身浴しながら書いてみる。大抵のことは2回行う。2回行うと、大体納得する。あるいは飽きる。「2回」で生きている。これは性質の問題だろうか。

 

・別の話。20211130と打ち込んでみて、11月が終わることに悔しい思いを持つ一方で、一つの月が終わってくれることを有り難くも感じている。強制的に自分の作業の外側に区切りがあることは救いでもある。そのようにして一日も、ひと月も、一年も終わる。その予感が増し続けるこの11月という時間が区切れて、明日からは決定的な年末となる。

 

・生活の楽しみの一つは本屋に行くことだから、家で作業の数日を終えて業務で外出した際は、特に用事がなくともかならず最寄駅の書店(くまざわ)をぐるっと一周する。大抵雑誌コーナーで殆どの時間を過ごして、新刊の専門書など手に取りつつ、全く読まないであろう文芸の棚も。知らない固有名詞を浴びたくて。

 

・一年のうちの業務の繁忙期には、本当にただぐるっと一周するだけで、何も手に取らない。手に取る気力なく、しかし目から言葉とイメージを入れたい。そうして雑誌の表紙に書かれた言葉や映し出されたイメージから、たとえば、冬山、鍋料理、高校英語、日帰り旅行、シックスパック、素敵な食器やインテリア、など受け取り、しかし、そのすべてに対して「もうあと二ヶ月したら全部やりたい」と思うことしかできない。そういう季節がもうすぐ来る。

 

・加えて今年は自分の書く作業も並行しているから、見ること聞くことのすべてに対して「いつか」「また」「追って」「近々」という気持ちで生きている。しかしこうした、何かを待つような心理は、この時勢からも影響を受けているのか。禍が長く続くことで、何が日常だったのか、忘れてしまった。という、ことを何度も書いているであろうことも、忘れている。

 

・11月とともに切断する。積極的に。切断は忘却を生むのか。あるいは、そのような起源も行き先も分からない状況だからこそ、切断を求めるのか。