・祝日。母の古希を祝うために実家に集まる日。昼からお酒を飲んだり肉を食べたり犬と遊んだり歓談したりした。家族と名指す人との関係の不思議は時間を重ねるごとに深まる。何も自然ではないと思う。選択した関係や選択していない関係を都度選び直し育てている。今も。
・どのような関係も気を抜くとすぐに解けるあるいはぶつかるといつから考えるようになったのか。ベランダいっぱいに並んだプランターの植物に水をやることで一日が終わり、そのような一日の繰り返しで一年が次々過ぎる感じもある。生きている限り水をやり続けると決めて。
・記録なく時間が消えることの不思議とこわさ。確かにその時間があったと言ってみて、他者と言葉を重ね合わせることでしか確かめることができない。その言葉を記録することの必要を感じながら、日々の生活に追われなすすべなく流されていく。ならばと、この現実を定着する方法としての写真や映像について、たとえば数十年くらい断続的に考えている。
・食事を終えてお茶を飲みながら、母が数年手紙を送り合う詩人の方について話を聴く。偶然に手紙を送り合う関係が生まれたという。友人と言えるのかと考えたが関係を名指す必要もなさそうだった。狙って得られる関係でもないのだろう。そのような関係があることをとても嬉しいと思えた。
・その詩人の方の詩集を手にする。時折送られてくるという詩集の表紙には版画があり、それは写真ではだめで版画であるべきと感じた。その版画を見ながら初めて「写真は眩しく鋭すぎる」と理解した。あるいは見る者の内に入りこみ記憶や欲望と簡単に結びついてしまう。その版画はただそこにあった。書いた人とも見る人とも離れて、あるいはそのイメージを生み出した人とも異なる次元で存在しているように思えた。
・そのイメージのありようと手紙の交流から生き生きしたものを感じた。個人的な出来事であり、何か考える手掛かりでもありそうと思う。言葉にすることが難しい。






