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  映像研究

言葉を話すことを忘れて

・202105062145。帰宅する京王線で。しばらくぶりの労働だが自分の何もかもが働いていないように感じる。特に言葉を話すことを忘れているように思う。より正確には、意識して他の人へ質問をして会話をするモードが切れている。しかしその切れていることを楽しむ程度には神経だか何かが太くなってしまった。どうしたら良いかわからない時は、どうしたら良いと思いますかと発しても良い。すぐに返答ができなければ、難しいですねとだけ返しても良い。そうして少しずつ自分の意識を動かす速度を上げる。それが結局一番合理的(?)でもあると思いながら。

連休の終わりに

・2021年の連休の終わりに。思えば2019年は改元に伴う謎の大型連休があり、2020年は連休を挟んだ外出が困難とされる時期があり、そうして2021年の連休だった。一応連休中の課題はいくつか終えたけれども、全然明日からの労働に復帰できる気がしない。

 

・午後はオンラインでの講義に出席。自分が主に聴く側でいると気がつくこともいくつかある。昨年のオンライン授業の期間も考えたが、これをスマートフォンで受講する人はなかなか大変だと思う。顔を出して参加することの重要性。

 

・午後に注文していた『写真の歴史』が届いて、それを読みながら少しデスクでワーク。オンラインで読めるいくつかの日記から人の思考を読む。メッセージでもなくコミュニケーションでもない言葉とは何か。その問題はずっと持っていることを思い出す。

 

・夕食後に押し入れに置いていたドーナツ盤を見る謎の時間が訪れた。大学3年くらいの夏休みに近くのリサイクルショップで10円で売っているのが面白くて、気づけば数百枚のレコードを買った。60年代から80年代にかけてのベストテンに入ったような曲は大抵ある。しかしそれらを聴いた記憶がない。レコードのジャケットを眺めながら、その大抵の曲は現在YouTubeで聴けるのだった。

 

・数枚だけれども90年代に(敢えてアナログで)リリースされたドーナツ盤もあり、しかしそれらは現在から見れば80年代に販売されたレコードと何が違うのかわからない。

 

・実家から貰ったすいかなど食べて就寝。

たけのこ、カメラ、府中街道

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・あとから思い出して書いておく2021年の緊急事態宣言下における大型連休後半の記録。

 

・今日も朝からたけのこを掘りに行く。遂に「中一日」で堀に行くようになってしまった。一昨日の様子と今朝の様子を比べることから土の下の根のことを考える。想像する。いかにも想像していた通りの箇所から出てくることもあるけれども、ちょっと予想外の箇所から出てくることも楽しい。「今年ももう最後だろうか」と何度も言いながら今日も掘る。とはいえ本当に今度ばかりは最後かもしれない。少量を近くの直売所に出荷して午前中が終わる。

 

・昼に出発して車で自分の実家へ。新小金井街道を北上して東京を縦断。道中の街道沿いの店はどこも混雑している。これが現在の都下の光景。自分もまた外出している。実家で一時間程度の「マスク喫茶」。そして連休中の仕事だった父の部屋の整理。画材を妻が、カメラを自分が引き取る。7年以上経ってようやく時間が動き出したように感じた。全然興味のなかった中古カメラの山はしかし手に取ってみると面白い。なぜこんなカメラを購入したのだろうかと思いながら。自分が二年ほど前にえいっと思ってGW690iii用にと購入した露出計と全く同じものが出てきて笑った。だぶっても仕方ないので手伝ってくれた従兄弟に譲る(押し付ける)。半分は処分して半分は持ち帰る。

 

・おそらくは2000年前後に購入されたであろう、その時代にあって既に「古いカメラ」で自分の父親はいったい何を写していたのか。あるいは写そうとしたのか。そもそも写すことが目的だったのだろうか。その頃の自分は今とは少し違った意味で、それなりに写真を撮ることを真剣に考えていたから、写真を撮ることを一義とせずにカメラを購入する態度は許しがたかったが、それをからかいつつ時にはカメラや写真の話をしたような気もする。覚えていない。どこで購入したのかはわからないけれども、新橋や、新宿や、目黒あたりの中古カメラ店は定期的に調査していたのではないか。うち2台のカメラに撮影しかけのカラーネガフィルムが入っていたから、数枚写してフィルムを抜き取る。何が写っているのか。

 

・犬の散歩もまた今度、ということにして明るいうちに帰路。来た道と同じ新小金井街道を南下するのでは面白くないからと志木街道〜府中街道で帰る。小学校や中学校の通学路を過ぎて通っていた大学の近くを通る。スピーカーに繋いだiPadから高校の時によく聴いていたような音楽が流れる。小学校・中学校・高校・大学と、のべで15年ほどあるのだけれども、なおかつそれぞれの「現在」においてはその地点から見る「過去」はそれぞれ断絶された「古い記憶」なのだけれども、こうしてさらに時間が経った現在から、そうした過去を混ぜ合わせるように捉えると、圧縮された「昔」になる。それは東京から超望遠レンズで西の方角の映像を写したときの、西新宿も、八王子も、富士山も、全く同じようにフレームに収まるような奇妙さと似ている。この「昔」が、記憶なのか。あるいは「個人の歴史」でもあるのか。

 

・と考えながらしかし聖蹟桜ヶ丘でおつかいをして帰宅する。久しぶりにノンアルコールで就寝する。

歩くことと読み書きすること

・202105031825。今日の作業もひと段落かと思いながら忘れないように書く。

 

・今日も少し朝の散歩をする。今日は家族とともにゆっくり一時間ほど。4km弱。5月のはじめはどこも緑が痛いほどに強く輝く。

 

・午前中に友人が実家で畑をしている様子を写真で送ってくれる。iPhoneに映し出される写真に在る土や植物の様子に惹かれる。遠くに見える山にも。いつかその場所に行くこともできるだろうか。

 

・午後は読む作業と論文の続きとなるような断片を書いてみる。写真史の基礎のようなことを学び直す期間。ずっと積まれていた『世界芸術写真史』をようやくざっと眺めることができた。勢い余って検索した『写真の歴史』もかなり高額だったが購入してしまう。やはり結局スティーグリッツに、そしてスティーグリッツとエマーソンの関係に、立ち返るべきなのだろうか。『自然主義写真』について学ぶ必要がある。

 

・一方でぱらぱらした図録で気になった菱田春草『武蔵野』という絵に何か手がかりがあるのではないかと思って買ってみた『近代日本画への招待1』という冊子も届いたから読むなど。

 

・夕方の部屋の音楽は、ピチカート・ワン『前夜』。去年の8月の猛烈な暑さを思い出しながら。今日は歩くことと読み書きすることができた。

 

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雨後

・連休のど真ん中の一日は雨後のたけのこを探して掘り出すことからはじまる。約一時間の間に二人でおそらくは20本ほど掘る。車にカメラ(iPhone)を置き忘れたから写真を撮ることもなくただひたすらに掘り出す。その後近くの直売所に持って行ったならば休日でもあるからたけのこを待つ人びとになかなかの密度が生まれていた。その密度を回避しつつ売り場の棚へそのまま出荷する。今日で今シーズン5回目。棚に置くまでもなくカゴから直接手に取られてしまう。今日もまた飛ぶように完売。満足して帰宅。

 

・午後からやる気を出して連休中の課題だった論文の改稿を集中して中断せず4時間ほど。とりあえず大手術まですることなく訂正・修正できる点はあらかた直したがこれで良いのかと自問。なおかつ集中して書いているとどうしても文章に詩的な表現が舞い降りてしまうから、あるいは広告的な語調が住み着いてもしまうから、数日寝かして、もう一度二度読んでみて提出、ということにしようかと思う。5/10が締め切りであと一週間あるから少しだけ余裕もある。一息ついて19:00くらいに切り上げる。

 

・夕食は連休中になぜか食べたいと思っていた「アクアパッツァ」を。簡単に出来て尚且つ魚を食べた後に、おじや?リゾット??のようなものにすることもできて嬉しい。夕食をはじめたのが21:00だったから、タイムフリーで一時間遅らせて野村訓市のラジオを聴きながら飲食する。

 

・休みらしい一日。色々な人たちが書いている連休の日記を読むことも面白い。多くの人が気をつけながら生活している様子を読む。数日前にAmazonで購入したオカヤイヅミ『いいとしを』という漫画が届いた。全然自分と異なる状況で生活している自分に近い年齢の人の生活の様子から色々と感じ考えることがある。フィクションの中に描かれる「物理的距離」と「接触」についても思う。

 

いいとしを

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