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  映像研究

終わり

・終わりがあるからまた始めることができる。終わりの、正確には区切りの、一日を迎えることができた。春からの業務が今日で区切られる。一旦荷物をおろして水を飲むように。同僚チームでビールを飲む時間がある幸福。ハブエール1パイント2杯が消えた。

 

・区切りならば、春からの時間の全体を省みる。

 

・業務に関してはこの期間にできる限りのことをしたと思える。もちろん積み残したことも多く、すぐにでも取り掛かりたい。そして同僚たちおよび自分がより健やかであるために、また小さな学びの場であることをかろうじて維持するために、まだできることはある。

 

・一方で別のことも考える。たとえば書くことについて。日記を書くことの効能を理解しつつも、これまでとは別の方法で書くことの必要を感じている。日記として示された言葉が意図せず他者と共有されることの面白さがあるが、何より自分が書くことを素朴に面白いと思いたい。文章を書くことも面白さとは何だったか。いまは忘れているかもしれない。

 

・あるいは正しくメモとして機能させる。形式を重視せず自分にとって役立つメモとは何か。発散ではなく蓄積としてのメモ。

音楽

・夏の始まりの土曜日の記録。午後から夕方まで母校のオープンキャンパスを見学する業務。夕方あわてて移動して友人のアトリエでイベント。テニスコーツのライブ。久しぶりに音楽を聴いた。久しぶりに音楽のある空間にいた。久しぶりに音楽に耳を傾ける人たちのなかにいた。かつてよく知っていると思っていた、特別な時間がいまここにある。こうした時間があることによって生きながらえていると思う。深夜にデスクで『光輪』を聴きながら、ああもう全部やめたいな、と思っていたのは約10年前のことで、全部ではないなりに確かにそのときに関わっていた何かをやめて、そしてまた何かをあきらめて、その結果としての現在がある。だからうたを聴いて特別な気持ちも湧きあがる。音楽が終われば懐かしい友人たちとの会話がはじまる。

熟考

・熟考のさなか。学期末。猛暑がとぎれて少し涼しい。家問題を一旦脇に置いて、選挙のことも忘れて、今日は一日業務。準備と会議。すべきことを一つずつ進めるしかない。そしてできる限り丁寧に(反省)。Amazonのセール期間に乗じてヴェリタスブロイと欲しかった本をまとめて購入した。

日記(風邪)

・朝から夜まで37.5℃前後を行き来する。主に頭から腕までが引っ張られるような感じがあり思考も行動も抵抗がある。スクリーンの見過ぎかもしれない。遠くのものあるいはよくわからないものを見ていない。住宅問題の最低限の連絡、NHKラジオの「社会福祉セミナー」を聴き、またオンデマンドで「100分de名著」のフッサールの回を視聴しながら昼寝。かろうじてスーパーまで買い物。葛根湯を飲む。同様の症状の家族とともに夕食。足湯して眠る。