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  映像研究

書き残しておきたい事柄はいくつもある(季節の変わりめに風邪を引い

 
・書き残しておきたい気持ちはいくつもある。10月も後半になってしまった。21日、22日、そして23日は雨。降ることで季節がすっかり変化してしまうように思った冷たい雨が降る。フリースを着たけれどもゴアテックスのジャケットはまだやめておく。首に何か巻く。あるいはこの一週間で慌ててカーペットとストーブを出した。毛布も出す。家でも靴下を履く。ついでに風邪を引いたから足湯もする。鍋もやる。葛根湯をお湯で飲む。水筒に暖かいお茶を入れてそれを持ち歩くかもしれない。寒さに怯えながらも新しい季節を待つ。


・『子どもと昔話』の新しい号を購入した。最近は発売と同時に買っていなかったのだから、一年に四回出る『子どもと昔話』によって季節の変化を感じることも久しぶりかもしれない。小沢健二『うさぎ!』は36話。日本の戦後、一般的には「高度経済成長」と「冷戦」と「バブル経済」で説明されるような戦後の数十年の時間が、別の視点から(別のストーリーとして)語られる。その書かれた内容から色々に考えつつも、それとは別に『うさぎ!』の連載が始まってからこの10月で9年ということを思ってくらくらする。18話までで「沼の原編」が完結したのだから、そのさらに倍の時間が流れていることになる。思い返せば『うさぎ!』の連載が始まった2005年の10月は初めてアパートを借りた月だった。映像制作の仕事が非常に過酷でありながら、その仕事が一段落した10月の後半に当時の同僚と夜行バスで京都に行って友達の展覧会を観に行った。そのような時間を今でもかなり鮮明に覚えている。例えばそのような時間からうっかりすると10年が経とうとしていることを恐ろしく思いながら、しかし同時に何というか「『10年一昔』はこのように積み重ねられるのだな」というふうに思う。どういう間柄であれ、その間に色々なことがありながらも、その10年をともに過ごしてきた人(戦ってきた、と言いそうになってそれはちょっと躊躇するけれども)がいる。そしてそういう時間のスケールのなかに自分が生きていることに驚く。全く想定していなかったスケールの時間が次々に展開される。


・最近数ヶ月の間に、東京を離れて生活することを知った人が何人か(今想定してるのは3人)がいて、偶然にもそれは、年齢的に少し先輩的な方、年齢的に一回りくらい先輩的な方、さらにもう少し先輩的な方だった。比較的頻繁に会う機会がある方もいれば、普段はほとんど会えないけれどもネットワーク上では一方的に活動を気にしてる方もいる。しかし総じてこの10年の中で知り合った、自分にとっては少し身構えてしまうほどに知的かつ感覚の鋭い人(何と言ったら良いのかわからないので仮に)だったのだから、そういう方々が一様にこういうタイミングで(タイミングにはそれぞれの色々なファクターがあるのだと思うけれども)東京ではない場所で生活をするということを決めたというからも何かを考える。逆に言えば、例えば2011年までの東京にはどれだけ沢山の、知的で、愉快で、エネルギーを持った人たちが集まってきていたのだろうかとも考えることができるかもしれない。それは少し切ないことでもある。


・切ないと言えば墓参りは切ないということを最近知った。切ない方面の事柄を文章化するエネルギーに乏しいのだが、それはさておき墓参りは不思議だ。「この場所に何か残っているかもしれない」という気持ちと「どこにも何も絶対的に残っていない」という気持ちが両立?共存??するような不思議さがある。それは一つの絵が「うさぎ」に見えたり「あひる」に見えたりする、あの知覚の仕方と少し似ているかもしれない。ぼんやりとひとつの切ない気持ちの全体像がありつつも、その気持ちの中に焦点が合うポイントを見つけようとすると「何か残っている」と「何も残っていない」のどちらかにフォーカスしそうになる。いずれにせよやっぱり墓というものがあって良かったと思う。そういえば「墓は生きている者のためのものだ」と『すいか』の教授も言っていた。墓に行くと「自分はもう少しこっち側のこの場所で色々なことのやり方を考えたりしてみよう」と誰に言うでもなく思う。


・東京を離れたあるいはこれから離れようとしている友人、先輩、その他知人と会うときにも、少し違ったニュアンスだけれども、それぞれの場面で口に出して話すこととは別に「自分はもう少しこっち側のこの場所で色々なことのやり方を考えたりしてみよう」というような気持ちになる。あるいは別の色々な状況でもそういう気持ちはふと訪れる。その場合「こっち側の」「この場所」はどこか「この(不毛な)場所」というニュアンスがあるけれども、その不毛さを見つけると同時に、その「不毛である」と思ってしまう気持ちも疑ってみる必要がある。当たり前のように「ある地点で起きた出来事」からは猛烈な勢いで離れていく。それは作品も同じである。『すいか』からはとっくに10年が過ぎている。『うさぎ!』が始まってからも10年が過ぎようとしている。そういう時間の今が普通にある。