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  映像研究

夏と加速あるいは夏の回想

 
・2014年8月20日。少しだけ空いた午前中に、時間の節目を見つける。若葉台の駅前のコーヒーショップの入り口には「エアコンが壊れてます申し訳ありません」と張り紙がしてあって、お客は誰もいなかった(営業はしている)。よっぽど入ろうと思ったけれども、からだはエア・コンディショナーを必要としていたので調布に移動してサンマルク・カフェへ。ジャズなのかクラシックなのか判断しかねるピアノがうっすらとしたBGMで眠くなりつつのアイス・コーヒーを飲みながらもテキストを打つ。8月の終わりは夏それ自体の後半戦で、その日々を備忘録しておく。8月の現状(90年代的な)。


・労働が続く。6時に起きて10時に寝たい。水を飲み汗をかく。言葉を話す。そういう日々だった。そしてその労働の中で30代も半ばである自分の年齢と、そのような人間が社会の中で果たしている役割について考えたりしないこともない。そんな日々の生活の中で、NHKで金曜日の夜に放送している『ニッポン戦後サブカルチャー史』を毎週楽しみにしていて、家にテレビはないのだから、テレビではない方法でこっそりと視聴している。1960年代の「サブカルチャー」は濃厚に「カウンター・カルチャー」としてあって、しかし濃厚であるが故にむしろ「カウンター」と名指す必要もないように思えた。あるいはそのような時代を東京で過ごし、おそらくはそのカルチャーというものに巻き込まれていたのであろう、自分の親を想像する。すべての人はかつて若者だったのだと思う。このあと、80年代、90年代の回も楽しみです。


・夏の終わりになると思い出すことは、2008年に荻窪から高尾に引っ越したことで、その季節の景色や空気の感じや、自分の気持ちの断片を今でも思い出すことがある。少し遠くへ来た、と思っていた。山の麓だった。そこは入り口だった。入り口の向こうにはグラデーション的にまた違った景色が現れるだろう。そこは少なくとも人間の「ための」場所ではなく、人間「も」いるような場所だと思った。魔界のような場所かもしれない。魔界のような場所を想像することは楽しい。人間のために作られたものしかない場所は苦しい。けれどもその苦しみが人に思考をさせるだろう。入り口に留まりながら思考をする。数年のことだった。ふと昨日の夜に考えたことは、自分にとって「2008年」は「6年前」だということで、例えば「2004年」は自分にとっては遥か昔のことのように思っていたけれども、2004年と2008年はたった4年しか離れていなく、一方で2008年と2014年は6年も離れている。そのことに気づいて、あまりにも驚いて、すぐ寝た。


・「あのときの感じを忘れないでおこう」と思う任意の点は「2013年」にも、もちろん「2011年」にもあって、しかし自分にとってはやはり「2008年」だった。というか2007年以前の記憶があまりなかった。そういえば2007年の11月3日にふと「山登りに行こう」と思った以前の記憶がほとんどない。極端に言えば2007年以前のことは『すいか』のことしか覚えていない。『すいか』を何度も見た。24歳の自分にとって34歳の人間が誰かに「いてよし」と言われる気持ちとはどのようなものだろうと思っていた。覚えていないのは記録がないからなのか。


・誕生日に家族にスニーカーをもらって(しまって)久しぶりに新しい靴を履く楽しさを思い出す。とりわけスニーカーを履くことは楽しい。楽しみながら履こうと思う。一方で労働の合間に久しぶりに荻窪ささま書店へ行って、自分の誕生日プレゼント(という発想はしないけれども買う口実に)としてレジス・ドブレ『イメージの生と死』という高い本とベンヤミン著作集を2冊ほど購入した。これらの本をじっくりと読んで、この先の自分の研究テーマを探りたい。それは秋に自分がやるべきことで、いくつかの労働の合間に進めたい。誰にも頼まれていない、金銭を得ることもない、楽しいかというと楽しいような気もするけれどもただただ大変であるような気もするような「研究」ということに、可能な限り入り込みたい。誰もが、どこかで、自分のテーマを、自分の方法で「研究」している。それは本を読むことだけではないのだといつも思う。


・他にも考えていたこと・考えたいことはあった。あったけれども忘れてしまった。