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  映像研究

雑誌と岡崎京子とドリカムについて

 
・マガジンハウス『GINZA』の雑誌特集を読む。とりわけ楽しみにしていたのは「17歳の私へ オリーブが教えてくれたこと」という記事で、まさに今から十数年前の17歳の自分にとっては「3日と18日はオリーブの日」だったのだから、コンビニでそれを買い求め、ひっそりと鞄に忍ばせつつ、高校とかに通っていた。オリーブ少女ではなく、男子だったけれども。いずれにせよ間違いなく10代後半の自分にとって、他のいくつかの雑誌や本や音楽とともに、オリーブという雑誌は強きな影響を与えていたのだと思う。


・特集の最後には「あなたは今も夢を持っていますか?」というような問いかけがあったりするところが何ともオリーブぽくてぐっとくる。こういう「静かな熱さ」は何だろう。たしか記事の中でしまおまほという人が岡崎京子の漫画に触れたりしつつ「友達がいないくらいの方が格好良かった」というようなことを話していたりしたけれども、そういう価値観、価値観というか、あるフィーリングみたいなものは、性別とかファッションとかすら関係なく、その当時とても気持ちがよかった。その気持ちよさや「風通しの良さ」について、いま思う。あるいはそういう態度みたいなものは、当時「メインのカルチャー」だと思っていた物事(あるいは不遜にも「非カルチャー」だと思っていた物事)に対する、静かな抵抗のようなことであったのかもしれないと、時々思う。


・そしてその「抵抗」はひとりひとりの中で、静かに、勝手に、続いている…、とか考えるのはノスタルジーでしかないのか。例えば別の人は『リラックス』に、また別の人は『スタジオボイス』に、あるいはもう少し遡ってみれば『宝島』とかに、またはカルチャーが変われば『SPA』とかに?誰もがそういう静かな抵抗の芽みたいなものを思い出すこともあるのか、どうなのか。たとえば誰かが喜んで言いそうな「そしてオリーブ残党はフード左翼へ」とか、そんな安易なラベリングはどうでも良くて(自分も面白がってそういうラベリングをすることがあるのは確かだとして)、ひとりひとりの中で続いていること、そのことがとても大切なことだと思う。


・ところで『spectator』の新しい号は「ホール・アース・カタログ」についての特集で、それはまさに雑誌が雑誌として、雑誌というメディアの可能性を確認しようとするような、強い気持ちをかたちにした、良い特集だった。さしあたって裏表紙のパタゴニアの『patagonia says No nukes Go Renewable 行動を起こそう』という広告が良い。何かの指針を思い出させられるようなデザイン。そして記事からは15年続いている雑誌であることの凄みを感じつつ、何よりも作っている人は、雑誌という「読み捨てられてしまいかねないメディア」の耐用年数を信じているのだなぁと思う。ぱらぱらとめくられて、あるいはじっくりと読まれて、本棚に仕舞われて、何度かの片付けのたびに他の雑誌が束ねられ、部屋の外に運び出されても、「これはちょっと、とっておく感じかな」と別の段ボール箱に入れられて、時間が流れる。そして何かのタイミングで箱は開かれて、雑誌は取り出され、ページはめくられる。そのときに何を思うだろうかと想像する。


・「今切実に考えられるべきこと」と「時間が経っても考えるに値すること」が重なり合う、というのはほとんどが偶然、タイミング、それぞれの状況次第でしかないのかもしれないけれども、でもそうとも言い切れないような気持ちもある。大切に作った物や事は、いつか別の時間に、別の状況でも力を持つ、というようなことがあるのかもしれない。そのことを時々思う。あるいは祈ったり願ったりする。物や事それ自体はかえりみられず、何か別の大切なことを思い出すきっかけでしかないかもしれないけど。


・そしてオリーブだった。オリーブのその独特の感じを思い出したとき、自分にとっては90年代中頃のいわゆる渋谷系的なカルチャーは、それはそれとして具体的に思い出せるけれども、どちらかというともっと濃厚にオリーブっぽいのは、むしろ80年代後半、ぎりぎりバブルの時代の頃の感じで、そのイメージにぴったりくるのは初期のドリカムの吉田美和のような人だ。その当時の岡崎京子の漫画に描かれる、どこにでもいるようなような人が動き出したら、このようであるだろうと思う。ところでたしか菊地成孔という人が数年前にラジオで、ファッションショーの観客席で、周りの人が静かにランウェイを眺める中で、堪えられずまさに踊りださんとしている吉田美和を見かけたというエピソードを話していたけれども、それはさておき初期のドリカムは、それはそれでミラクルだと思う。youのtubeで聞き直してみたならば、聞いた分だけ、その圧倒的なテンションの高さに打ちのめされそうになる。1990年という時代と念を送り合う。