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  映像研究

課題について

 
・従姉妹の結婚式のために週末に大阪へ行く。可能であれば1泊2日で小旅行と洒落込みたかったけれども、いろいろな事情から日帰り。朝早く家を出て新幹線に乗る。結婚式に出席してまるで社会の人のような振る舞いを数時間したのち再び新幹線に乗って(寝て)帰ってくる。そういうことも気分の転換になる。からだが遠いところへ行くことはそれ自体は面白い。自分の意志である限りにおいて面白いと思える。乗り換えに注意する。普段食べない食べ物を食べる。久しぶりの人に会うなど。行きの新幹線では「POPEYE」を購入して、帰りの新幹線では「GINZA」を購入する。「新幹線に乗る」ということが完全に口実になっている。雑誌をめくるだけの時間は贅沢な時間。これもまたいつかどこかのつづきであるところの「わたしたちに許された特別な時間」かもしれない。


・しかしそれらの雑誌に現れるイメージは驚くほどに「90年代」ぽかった。高橋恭司の撮影した人物の写真。あるいは郊外のスナップショット。カジュアルかつシックな装いにハイテク・スニーカー。そしてPOPEYEのファッショングラビアの一枚に目が留まる。西洋人の男性モデルが抱えたバックの横から半分だけ姿を現す物、ほとんど気が付かないくらいこっそりと写り込んだ、それは「コニカ・ビッグミニ」だった。その物を、90年代の象徴として見て取る人がどの程度いるのかわからないけれども、はっとする人はきっといるのだろう。フィルムで記録するコンパクトなカメラが象徴する、ある感じについて思いをめぐらせる。


・とうとうはじめてしまった。VHSが再生でき、なおかつDVDにダビングすることができるデッキを購入してしまった。それは「VHSが家の中で場所をとってしまっているからDVDにダビングしてVHSを処分すれば部屋が少しすっきりするのではないか」という口実の元に開始された「VHSサルベージ・プロジェクト」だった。120分テープを3倍で録画したテープが約100本ある。600時間の映像がある。90年代の映像。今から20年〜15年前の600時間。それをそもそも見るのか?見返す必要があるのか??仮にDVDにダビングしたとして、何となくVHSテープはそれはそれでアウラ的な理由で捨てられないのではないか???疑問はいくつも湧いてくる。しかしとにかくダビングしなければいけない。起きている間はダビング。ダビングの鬼になる。このプロジェクトがある程度進行したら、かねてから考えていた「VHSナイト」も開催したいと思う今日この頃。


・新しい場所に行くと、意識しないうちに「本がある場所」を探している。街の中の書店、学校の中の図書館、飲食店のマガジンラックを見る。本を読むことが好きだと感じたことはさほどないけれども、本に触れたり、ページをめくったりすることはいつも楽しい。家の中に多くの「読んでいない本」があることを、ときどき幸福だと思う。ときどきはその物体の存在を前に「これをすべて読む時間が自分にあるのだろうか」と途方に暮れるけれども。背表紙あるいはカバーからある本に惹かれる。惹かれた本を手に取る。「本」というイメージが示す事柄について。


・課題を考えている。つねに課題を考えている生活あるいは人生。自分にとっての「問い」とは少し違う、誰かが学ぶためのきっかけになるかもしれない「課題」を考えている。本を読めば、どこからどこまでを切り出せば授業で使えるテキストになるかを考え、映像や写真を見れば参考資料になるのではないかと考える。日常的な会話の中にも課題になりそうな事柄はある。確か文庫本になっている『新人類図鑑』には色々な「カタカナ職業」の人たちがインタビューを受けていて、その中に「謎々プログラマー」という人がいたけれども、一方「課題を考える人」は何という肩書きになるのだろう。面白い課題を年内にあと30個ぐらい作りたい。