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  映像研究

言葉について、話し方について

 
・ここ最近『ニッポン戦後サブカルチャー史』という番組を楽しみにしていて、それに関連して「70年代」や「80年代」そして「90年代」について、考えたりしている。早く自分が知っている「90年代」来ないかな、と思っていたりする。そしてこの期間(7月後半以降)労働の期間にはじっくり本を読むことが難しかったから、そのリハビリという意味も含めて、見た目NHKブックスでライトそうだし、ちょうどしっかり読み返してみたいと思っていた北田暁大という人の『嗤う日本の「ナショナリズム」』という本を読む。60年代の連合赤軍からはじまり、時代を追いながら、その時代に固有なメディアとコミュニケーションのあり方について論じられる。主に80年代に糸井重里という人や田中康夫という人がマスメディアで果たした役割、そして90年代にナンシー関という人が書いていたこと、さらに00年代のネットワークによる特異な(しかし確かにそれ以前と繋がっている)コミュニケーションに作法についてなど、この本が出版された2005年くらいのことを思い出しながら読んでみれば、そこにはまだ今のようなネットワークの環境はないのだから、2014年の現在ではまた違ったことも考えられるように思った。


・「どんなに真剣な戦いもその時代に規定される」というようなことを佐々木敦という人はかつて雑誌の連載に書いていて、その言葉は自分にとっては時々思い出す重要なことのように思っているけれども、それはともかく、或る人たちの、或る時代における振る舞い、そしてその変化、あるいは「転向」と言われたりするような変遷、そういったことにもそういえば興味があった。当たり前だけれども、仮に「なんとか年代」と言ってみて、その時代を生き続けることができる人はいないのだし、考える当事者のあらゆるコンディションも変化し続けていくのだから、或る人が何事かを成して、訴えて、表現している(いた)として、それを現在の地点から簡単に裁くことはできないのだと思う。宮沢章夫という人はかつて『東京大学「80年代文化論」講義』では「文化的ヘゲモニー」を「かっこいい」と端的に言ってみることから考えることを始めていた。誰にとっても自分が「かっこいい」と思うことはあり、それは変化するのだけれども、同時にそれほど簡単に変化しないものもある。それは「思想」や「価値観」になるのだろうか。そしてそのこともどうしたって「時代」に規定される。そしてこういう種類の事柄と、例えば自分が日々気がつけば相当に年の離れた、自分の年齢の半分くらいの人たちに話しかける言葉が、どうしても今までのように届かない、という気持ちにはどういう関係があるのか。それを当たり前のジェネレーションによる問題とするのではなくて、確かにある具体的な時間の幅の中で生じる「遠さ」だと考えるならば。


・10年前の僕らどころか、20年前の「僕ら」は眠い目をこすって『イトイ式』や『カミングアウト』を見ていた。このようにテレビの中で話す人たちを見て、あるいは雑誌の中で話す言葉を読んで(それは「対談」や「インタビュー」と呼ばれる特別な言葉だった)自分も何事かを考えることから始まる。そういうコンテンツには基本的に「ひとりで」向き合うだろう。本を読むことも、ラジオを聴くことも、テレビを見ることも、それは基本的に「ひとりである」ことが条件であったように思うし、さらに言えば「ひとりになる」ためにマスメディアのチャンネルを合わせる。よりひとりになれる方へ行くために。そうしてチャンネルが、番組が、コンテンツが選択される。もちろん別の場所/別の時間に「あれ面白かったよね」と話をすることはあるのだとして。そしてだから「人が集まって話をしているところを盗み聴き/盗み見して、そこでひとりで考えたことを誰かに話すために、今度は自分が人が集まる場を作る」ということが、ひとまわりのサイクルになる。それが行動原理になっていたのではなかったか。しかしその原理はもしかすると「90年代的なもの/こと」なのかもしれない、と一瞬考えて、けれどもむしろそのことのポイントは「即座に共有しない」「即座に共有できない」ことの方にあるのかもしれない、とも考える。


・あるいは「権力の言葉」に敏感であれ、ということが多くの人と同じように自分にとっても至上命題であるのだから(しかしその意味はやっぱり時代/世代によって違うニュアンス/意味を持つのだとして)それは他者が話す言葉、マスメディアから見聞きする言葉の中に権力の匂いを嗅ぎ付けられるようにあれ、ということはありつつも、しかしむしろそのような厳格さ(それを「反省」と呼ぶこともできるのか)はもちろん誰よりも自分に向けられる。そういえば自分が10代の頃(それはつまり「90年代」ということだけれども)に見たり聴いたりした表現の中のほとんどすべては「簡単に言葉を話すことができない/でもやるんだよ」ということについてメッセージしていたような気がする(ありとあらゆる種類の言葉を知って…)。あるいはそれはティーンエイジャーが受容する表現に普遍的なことなのかどうか。いずれにせよ、そのような意識は今も残っている。そのような意識が濃厚にあった時代を過ぎてしまっても、忘れた頃にふっと蘇ることがある。すべての言葉を線で消し、辛うじて残った言葉を使うような。


・一方で例えばかつての文化の中枢に位置していたような人たちと同じ言葉で話すこともできない。それは自分にその力量がないから、ということもあるけれども、例えば講義をほとんどひとりの「語り」だけで成立させるような力はないだろう。「力がない」というのは「それができない」ということもあるけれども、むしろ「それでは伝わらない」ということかもしれない。レジュメを準備する。パワーをポイントする。要点をあらかじめまとめて、今話していることがそのどの地点にあるかをつねに明らかにする。「今私が話している事柄はあなたにとって確かに意味があることです」というメタメッセージを織り込みながら、時には「こうやって話していることも容易に相対化される可能性があるのです(そしてそれを自分はわかった上で/あえて話しているのです)」と自分で自分に突っ込みを入れながら、冷静と情熱の間を、コントロールしながら/コントロール不能にすることもコントロールしながら、話す。そういう話し方をする。そういう話し方をすることしかできない、と思ってしまう。それはしかしもともとは、例えば「学問」という、「教養」という、それ自体突き詰めて考えれば「権力の言葉」から遠く自由であるための、方法であったはずなのだけれども。しかしそのことはどうしてこんなにも困難に思えるのか。(つづける)