&

  映像研究

日記

 
・個人的なことだけれども(個人的なことを書くことが目的だけれども)家の周囲の環境が大きく変わっている。すぐ裏のブルーベリー畑が有ったところは幅の広い道路が通るための整備をしている。少し歩いたところにある鬱蒼とした雑木林はすっかり切られてしまった。そして台所の窓から見える田んぼは埋められて、風景が変わってしまった。開発をしている。この場所はもうすぐ住宅地と大きな道路が通るどこにでもあるような場所に変わっていくようだ。工事は朝8時から遅いときには19時くらいまで続き、大きな音と時折振動が家の中まで届く。今は平日の夕方で、今日はもう工事が終わっている。今はとても静かで、換気扇を止めたならば、虫の声と鳥の声を聞くことができる。他には何も聞こえない。そのような環境をとても贅沢なものだと思う。ナイーヴな言い方だけれども、他のどのような種類の便利さとも交換することができない豊かさだと思う。去年のこの季節ならばそれは当たり前のことだった。しかし今は当たり前ではなくなって、なくなったからこそ、その豊かさを強く感じる。田んぼから蛙の大合唱を聴くことはこの先ない。


・先週の木曜日にふと思い立って渋谷のユーロスペース小川紳介の映画を観に行ってきた。全作品が一挙に上映されているということで、たまたまタイミングが合った『三里塚 第二砦の人々』という1970年に上映された映画を観る。社会運動の歴史として、あるいはドキュメンタリー映画の歴史として、「三里塚」と「小川紳介」を知ってはいたけれども、実際に映画を観ることからは、色々なことを考えることができる。この映画が製作、上映された1970年は敗戦から25年しか経っていないということ。その25年の間に例えば「東京オリンピック」があったということ。そして60年代は60年と70年の安保闘争に挟まれて、そして学生運動もあったこと。だけれども映画で観た三里塚の闘争は、そのような自分が考えていた「社会運動」とは何かが違うように思われた。それは現実の場所を、土地をめぐる戦いだった。見えないもの、法や、権利のための戦いではなかった。そのどちらが良いというようなことではなくて、しかしその「自分の生命が自分が暮らしている土地と分ちがたく結びついていて、ゆえにその暮らしを壊されることに対して抵抗する」というようなことの、特別さを思う。そのことと、例えば今自分が住んでいる家の周囲が開発されていくようなことは、まるで関係がないことのように思えてしまうけれども。


・例えば「一揆」や「乱」や「打ち壊し」や…、そういった運動と、現在の「社会運動」とは同じものなのだろうか。「社会主義」や「共産主義」やあるいは「民主主義」というものさえ、いつかどこかのタイミングでこの国に「輸入」されてきたものだと考えることもできる。「社会運動」は「会社」や「学校」やあるいは「核家族」といった制度とともにある民衆の抵抗のかたちなのだろうか。「労働」を蝶番のようにして会社の中(組合)と会社の外(政党政治)が緩やかにつながりながら抵抗を試みる。そういう運動の形態はやはり70年代、80年代と少しずつ力を失っていったのだろうか。90年代以降は国という単位で考えることができなくなったから、また別の原理(大きな市場原理)によって考えざるを得ないということなのか。『三里塚 第二砦の人々』の中で印象的な場面は、三里塚の人々が砦の外にいるらしい学生について意見を述べているところだった。「学生もしっかりやってくれている(やってくれているけれども…)」というような意味の言葉。そこには微妙だけれども確実に壁があって、それが言葉のニュアンスで伝わってくる。


・「三里塚の人々」と「学生」は同じ民衆ではない。それはもちろん緩やかにつながってひとつの運動体を形成しているのだけれども、同じ民衆になることはできない。その決定的な断絶を、映画を観ている自分は「可能性」として捉えることができなかった。むしろこの断絶と似た、小さな断絶が、色々な場所に、見えないけれども確かにある。学生運動への批評的な視点、というような簡単なことでもない。もちろん三里塚の人々に対して批評的な視線を向けることはさらに難しい。2014年の現在からは、好きなことを、好きなように言うことができるけれども。三里塚の人々は「ここに空港を作るならば自分を殺せ」と言う。自分と自分の子供を木に鎖で括り付けて機動隊に向かって「殺せ、殺せ」と声を上げる。そのときその言葉を、行為を、映像を、批評することができるか。いやしかしそれを言葉にするしかない、批評するしかないのも事実だ。開発されることで土地が失われること、土地が失われることで自分や自分たちの命が失われていくことについて考える。そしてそのことを開発される側だけではなくて開発する側も恐らく理解はしていながらも「経済性」や「合理性」や「利便性」や「将来性」を論理として、誰が望んでいるのかわからないまま事態が進んでいくことについて。


・「土地が失われることで自分や自分たちの命が失われていくこと」をいわば「学生」である、あるいは「会社員」である、そして2014年に生きている自分は想像するしかない。「経済性」や「合理性」や「利便性」や「将来性」に「抵抗するための」論理を作り上げるよりも前に、シンプルに「土地が失われることで自分や自分たちの命が失われていくこと」を自分の中に描き出すという、不可能だと思われる想像を決してやめないこと。それは「他者の気持ちを想像すること」でもなく「ましてや当事者に『なること』を想像すること」でもない。自然に同一化してその痛みを感じよ、というようなマゾヒスティックな想像でもなく、ただ想像すること。断絶を忘れないこと。その断絶に留まること。


・いたるところに「権力」があって「たたかい」がある。例えば権力など感じることのないような空間の温度を少し上げるだけで、その空間には全く違った緊張が動き始めるというようなことがある。空間を管理するものは、温度と、そして何より速度をコントロールしようとするのだろう。「何をしなさい」ではなく「この速度でやりなさい」ということが、身体に、生活に直接はたらきかける権力の作動の原理になる。誰もがそのことを知っていて、だからこそすべての言葉は命令でもあり得る。そのような言語の命令性を逃れる種類の言葉に「挨拶」があった。挨拶は愛撫で、だから「やあ」という言葉は、その言葉でもって他者に触れに行く。「そこにいるのだね」「あなたがいることを好ましく思います」「お互い何とかがんばりましょう」など。しかしコンピュータ・ネットワーク上のコミュニケーションは、そのような言語の非命令的な要素である挨拶さえも速度の問題に変換してるように思われる(いいね)。たとえばこの「挨拶」を「速度」に変換することが、現在の労働とミクロな権力の関係の特徴のひとつではないかと思う。


・ここまで考えてもう一度ヴァルター・ベンヤミンの『複製技術時代の芸術作品』のあとがきを読み直そうとするならば、ちょうど一週間前に読み取った事柄とは違うことをまた考えることができるかもしれない。ドイツあるいはヨーロッパと日本という場所の違いもあるのだから、それを安易に重ね合わせることはできない。しかし例えば「現代の人間のプロレタリア化の進行」から「土地と生活が切り離される」ような事態を想定することができないか。誰もが「学生」か「会社員」になること。あるいはその一部はそれらの人々の「管理者」になること。その関係性が「大衆」を成すこと。ではそこで「ファシズム」とは何だろうか。

あとがき
現代の人間のプロレタリア化の進行と広汎な大衆層の形式は、おなじひとつの事象のふたつの面である。あたらしく生まれたプロレタリア大衆は、現在の所有関係の変革をせまっているが、ファシズムは、所有関係はそのままにして、プロレタリア大衆を組織しようとする。ファシズムにとっては、大衆にこの意味での機会を与えることは、大いに歓迎すべきことなのだ。(それは大衆の権利を認めることと同一では絶対にない)。所有関係の変革を要求している大衆にたいして、ファシズムは、現在の所有関係を温存させたまま発言させようとする。当然、行きつくところは、政治生活の耽美主義である。大衆を征服して、かれらを指導的崇拝の中で踏みにじることと、マスコミ機構を征服して、礼拝的価値をつくりだすためにそれを利用することは、表裏一体をなしている。

政治の耽美主義のためのあらゆる努力は、必然的に一つの頂点をなしている。この頂点とは戦争にほかならない。戦争、ただ戦争のみが、現在の所有関係に触れることなく、大規模な大衆運動に目的をあたえうるのである。政治の側から見れば、ほぼこのようにファシズムの現実をまとめることができよう。技術の側から見れば、ただ戦争のみが所有関係に触れることなく、現代の技術機構を全面的に動員することができる、ということになる。もちろんファシズムによる戦争讃美は、このような論拠を用いはしない。(以下略)
ヴァルター・ベンヤミン『複製技術時代の芸術作品』1936