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  映像研究

境界

・後から書いておく記録。日曜日は朝から通常の業務。9:00前に出勤して17:00過ぎまでが光の速度で消えた。

 

・まだ明るい夕方。調布で途中下車して決して今すぐに必要ではない買い物をすべくいくつかの店舗に並べ重ねられた品を見る。品を見て判断する、その「判断」を繰り返すということが業務の時間から業務の時間外へと気持ちを変化させる上で重要だと思うことがある。何も購入したいと思う物がない。何も購入したいと思う物がない、ということを確認するために品物を見て時に手に取る。そのことに少しの罪悪感を感じながら。何も購入したいと思う物がないことは幸福なことだろうか。安心感と物足りなさの両方がある。

 

・業務の必要上、「大人」ということと「大人ではない(が「子供」と名指すのも違う気がする)」の間に境界を引くような意識がはたらくことが、ままある。特にこの春からは約18歳の人たちを前にして、そしてその年齢から遠く離れた自分の年齢も意識しつつ、さて、いったい目の前の人たちと私の間には、どのような種類の境界が、何段階くらい引かれているのだろうか、と考えたりもする。いよいよ何かをわかり合うことは相当に難しくなってきた、と思うことから、かつて自分は「わかり合っていると思っていた」ことを知る。そんなことが一度でもあっただろうか、とも思いながら。

 

・いよいよ何かをわかり合うことは相当に難しくなってきた、と思うことからも、少しずつ明確に「聞くこと」の重要性を感じている。自分にできることは「あなたの話を聞いている人がここにいます」ということを表現することしかないのではないか。気の利いたことを言おうとする段階を経て、対話を通じて活気づけようとする段階を踏まえつつ、今は対話が生まれる場を多少準備することと聞く人になることが、自分にできることなのかもしれないと考えている。これはしかし、年齢や境界の問題ではなく、自分の変化がそのような行為を引き寄せたのかもしれなかった。為すことが自然であるような行為=運動をしたい。「仕事」はその結果に過ぎないのかもしれなかった。

 

・それは業務において、自分が当然のように大人として振る舞っていることに、ふと我に返るような瞬間があったことによる。パフォーマンスでやっていたことがいつのまにかベタになっている、というそれ自体がありふれた事象。少なくとも今はただそれを「ありふれている」と言いたい。言うことで客体化されるのか。どのような大人も、かつて「アンファンテリブル」たり得た、あるいはそれが許された時期があった。ただそれだけのこと。そうとだけ言いたい。

 

・「業務」において。自分がパフォーマンスしているという意識はありながらも、その自分のパフォーマンスを俯瞰することはしなくなった。ただパフォーマンス=行為する。選択や判断は都度にあるけれども「他のやり方」を考えることはなかった。それを「自然」と言うこともできる。「色々なやり方」はない。ホテルの朝食のバイキングのように、さまざまな事象や次元の異なる仕事を行き来して、自分の器に少しずつ盛り付けられるのは特殊な一部の人々に限られている。ある意味での「選ばれた人(あるいは良くも悪くもなく『何かの歯止めが効かない人』)」にしかできないことだった。自分はそのような意味での「選ばれた人」ではない。J-POPの新作を追い続けることなどとてもできない(J-POPは例であり他のほとんどの文化についても同様)。こうした自覚をしていくことが、自分が思う「大人」ということと関係している。

 

・それを「開かれていた可能性が狭められていくこと」としてのみ捉えることは面白くない。そのことと表裏の関係にあるのだろうが、自分が(「自然」と)何を求めるのかを少しずつ分かっていくプロセスとして捉えたい。そして、分かり続けていくことだけがある、と考えれば(相対的にであれ)「境界」の存在は薄れていかないか。