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  映像研究

立夏から小満

・202205192259。帰宅する京王線で書いてみる。15:00から22:30が光の速さで消えた。木曜日の業務に加えて会議。業務である限りにおいて(?)、新しい人が現れて、新しい事態が訪れて、新しい出来事が次々起こる。そのことを少しでも楽しめるように。

 

・午前中、不思議なほどに身体が重く、この一週間ほど適度に寝て過不足なく飲食しているのに、どうしたものかと考える。色々な良い条件が揃っている筈なのだがそれに見合う良いパフォーマンスを出せない(と思う)、このような状態を人は「五月病」と呼ぶのだろうか。あるいはもう少し深刻な状態を指す語なのか。「頭痛ーる」など開き気圧の様子もうかがう。

 

・そこからどういう思考の展開か分からないが、「二十四節気」について久しぶりに調べた。現在は「立夏」の終わり、終われば「小満」と呼ばれる時期になる。「小満」について調べれば、「昨年の秋に蒔いた麦の穂が育ち、ほっとひと安心することから、「小さな満足 = 小満」となったともいわれています」と書かれており、それは確かに、ほっとひと安心だと思う。植物が育つサイクルと身体あるいは精神がバランスする生活を少し想像する。

 

・植物のサイクルとは異なる活動に二重三重に関係する自分もまた、時々そのような別の時間のことを想像する。偶然かつ強引な意味づけだけれども、ちょうど明日の昼の面談は、自分にとっての季節の区切りになるかも知れなかった。

 

・いくつか、考えたことや、見たこと聞いたことを、記しておくつもりが既に忘れつつある。報道では、屋外でのマスク不要の議論が為されている。もうすぐマスクを外して生活することを練習することになるのだろうか。メモしておく。