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  映像研究

ここは

・202011031639。ここは家。ここは部屋。ここはデスク。ここを自分の場所としてしばらく作業を進めようとあらためて思う。事情があり中央図書館に電話したならば丁寧に対応いただくとともに、もしかするとその場所にいたかもしれない自分のことを想像する。「世界線」というような言葉で言われる何か。そういえば11月のこの祝日は自分にとっては「山の日」だった。繰り返す日々から脱落するアクションとしての山登りがあったことを思う。日記はタイムマシンのよう。それは2007年のことだった。箱根の金時山にいた2007年の自分に念を送る。無邪気さのさらに向こう側の無知まで届く記憶。

 

 

mrtr.hatenablog.com

 

 

・現在に戻り2020年の11月3日。この秋は朝に弱い。眠りが浅いのか。眠り方が下手になっているのか。年齢とともに眠り方の(眠りへの)姿勢が変わってくるのだろうか。布団と仲良くなれない。運動または汗が足りないのか。汗が足りないということは水分が足りないのか。ビールは水分だが身体を冷やすためにただ通過する。身体を温めることだけを考えたい。まだアラジンストーブはつけていない。ヤクの大判ストールを膝にかけている。

 

・休日なく働き続ける家族を案じつつ引き続き家でリサーチ作業。結局図書館で借りるのでは足りずにプレミアムな価格で購入したのは、飯沢耕太郎『「芸術写真」とその時代』という本で、この本に書かれている、19世紀後半から20世紀前半の、文学者、思想家、そして画家や写真家にとっての「自然」概念について書かれている部分を読みながら考えている。「自然」「風景」は何を指すのか。「主体」と「自然(風景)」との「距離」とは、どのように考えられるのだろうか。そのようなことをメモしながら一日が過ぎようとしている。あてずっぽうの段階は難しい。道が見えない。中断。