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  映像研究

勉強

・202403131954。作業を終えて書いておくメモ。

 

・昨日業務のあと同僚と軽く飲食した際に「明日は何をしていますか」という話になり、少し考えて「明日は家で勉強します」とこたえる。家で勉強する自由。家で勉強する幸福ないし猶予。授業の準備でもあるから締切のある仕事と言えなくないが、言わなくても良い。これは勉強。調べるために読み調べたことを書き出す。次第に少しずつ「分かってくる感じ」がある。その「分かってくる感じ」に向かって進んでいる。

 

・朝一番で区民センターを予約。色々な準備を並行して進める。

 

・歌詞のある音楽を流すと作業の進みが鈍くなることを知りながら、主に柴田聡子『Your Favorite Things』を聴いている。冒頭の『Movie Light』、後半の『Reebok』、タイトル曲の『Your Favorite Things』など特に素晴らしく、何度繰り返しても新鮮に聴こえる。土曜日に『SELF AND OTHERS』を見た流れで佐藤真のエッセイも読み直し、その中でエリック・ロメール緑の光線』について書かれていた部分が印象に残っていて、その映像の記憶と響き合う感じもある。ジャケットの印象か。柔らかい自然光のイメージ。照っていて揺らいでいる。

 

・佐藤真がエッセイで木村伊兵衛について「乾いた写真」と書いていて、その言葉を読むことで写真の見え方が少し変化したように思う。映っているのは日本という場所の昭和時代の各地の様子だが、その雰囲気に引っ張られすぎなければ、さっとカメラを取り出して写したような、上品かつ無慈悲に断ち切ったような画面に、見る者を惹きつける魅力を見出せることに気づいた。同時に、このような意味での「写真」は、この世界には、二度と出現することがないだろうと思う。技術を含むこの社会の必然と思えば羨む必要はない。けれども。

 

・映像なるものそれ自体には「正しさ」も「倫理的な役割」もない。どちらかと言えば、おぞましいほどにただ人の欲望を映し出すことも多い。けれども、その映像というものを指差して、拾い上げて、人が善く生きるべく学ぶためにこそ磨くこともできるだろうか。「こういうことを考えるようになってしまった」と数年の間で何度か思う。特に春。自分の目的を思い直すために。あとどれくらいこの身体がこのように動くのだろうかとも思いながら。必要なことを書き出しても良い。思考。歴史に学ぶこと。膠着しない仲間との助け合い。

 

・夕食のために中断する。

 


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