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  映像研究

9月が終わるメモ

・後から書いておく記録。2021年の9月を見送った。いつもと同じようにいつもよりも早く過ぎ去ったように感じている。身体の内に微かな暑さが残っているようにも思う。これから空がみるみる高くなり静寂が訪れる。毎年それを少しだけ恐れながらも楽しみにもしている。

 

・業務に向かう途中に立ち読みのつもりでリアル書店。書評されているいくつかの新刊など手に取りつつ雑誌を二冊。勉強という口実のもとで購入する。

 

・『ビデオサロン 10月号』は特集が「ミュージックビデオの現在地」。こうした関心がかつては自分の生活の中心にあったかもしれないことを遠く感じながら、今はそれを純粋な勉強あるいはリサーチつまり学生との共通の話題を保つために読んでいる。ニュースと同じように新しい音楽や映像を見る必要がある。

 

・『WIRED vol.42』は特集が「コモンズと合意形成の未来」。WIREDは「新聞を定期的に読まない自分のノルマ」として基本的に必ず購入することにしている。新しい言葉を知る。同時に写真やイラストレーションの雰囲気からも学ぶことがある。

 

・一方で自分は100年前に書かれた写真論と100年前に撮影された写真を照らし合わせつつ、現在にまで通じるはずと思いながら「撮影行為」について考えている。「見ること」とは・・・、というような語り出しで、頼りない文章を書いている。本当にこの言葉に妥当性があるのだろうか、とも思いながら。それでも何かを信じようとしている。

 

・明日から10月でもあり論文作業は次の段階へ。10月中に30,000字という目標に向けて漕ぎ出す。

 

・友人に友人を紹介する、ということが生きて生活している中での最も大きな事件かもしれない。ある程度の年齢を過ぎると余程の人と関わる生活でない限りはその機会が少なくなり、コロナ禍では一層難しくなる。「出会わせたい」という欲望は確かな感情だと思う。自分の場合は。そうした連絡をする機会が久しぶりに訪れた。それは文字通りの自分にとってのギフトである。