&

  映像研究

桶屋の猫

・日々考えることも流れて消えてしまう。せめて、と思えば、紙に文字を書きつける。それが痕跡となる。授業に出席したらノートを取る。

 

・忙しさの質の変化について、考えて分析がそれらしく為されたとしても、目下の困難が消えるわけではない。いずれにせよ、案件である限りは、いつかは消える。そう思いながら、この先一ヶ月をどう過ごすか、不確定な準備をしている今は、不安と高揚がある。まだこの業務に関して、これほどに感情が動くことに気づきそれは悪いことではない。感情を尽くして労働している。

 

・社会の変化(一挙の、あるいは緩慢な)がこの業務の形式や労働の心持ちに変化を与える。変化を迫る、とも言えるか。明確な「真っ只中」としての2020年から少し離れて、さらに別のタームに移行する現在に特有の状況がある。「可塑性」という語でイメージしてみて、柔らかいものをつくり直しているように。

 

・自分自身の慣性を反省しながら、知らず構成されていた態勢が、軋むように変化する。かつてならばもう少し「しなやかに」変化していただろうか。「しなやか」を機能美のような良きイメージと重ねてみてしかし、普通に考えて、滑らかに動いている何かを変化させようとすれば、その変化は「しなやか」ではあり得ない、とも思う。

 

・現在を生きる多くの人が「自分が力を尽くしていることに見合う何かを得られていない」と感じたときに、この社会はどうなるのか、などとぼんやり考えるのは、毎日物価が上がり続ける(と感じられる)ことに、果たして今後耐えることができるのだろうか、という疑問に因る。かなり難しいように思う。思うけれども。

 

・この日は朝から横浜の塾へ。その後職場に移動して業務を5時間。帰宅すれば疲労を感じる。気温が上がれば身体が緩むとは限らない。むしろ急激な温度上昇は身体の軸を強張らせるようにさえ思う。脱力して就寝。脱力が大切。