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  映像研究

句点

・202107082033。職場を出て飛び乗った京王線で今日の出来事を書いても良い。

 

・緊急事態宣言が発出されるという報道。もはや自分の職場はそれに対して何も対応をリリースすることはないかもしれない。誰もが感じているであろうが、宣言それ自体は空虚な記号になり、一部の人たちにのみ不条理な困難を強いる合図になっている。しかし、何を、どうすれば良いのか。

 

・今朝は久しぶりに寝坊する。正確には、少し遅れたものの、起きて準備をしていたのだが、洗濯機が仕上がる残り時間を確認して、業務の約束を逆算して、異様に焦って外出することになった。無念。

 

・それでも約束の11:00前にに職場に滑り込み、面談、昼食、授業準備、業務連絡、制作の監督、面談、会議、ブログを書く、などしていると20:30までが消える。それらの様々な業務を挙げてみると、一体自分は何者なのかと思うが、しかし多くの労働とはそのような一つ一つは「なぜこの行為に対価が発生するのか」と思うようなことの積み重ねでしかないのだろう。

 

・会議の最中にふと「つい先ほどSNSをつるつるしていると流れてきたがどうやら文章に句点が多いと一定の年齢以上の感じつまり中年だと判断されるらしい」という話題を投げてみる。「それを知りブログを書く業務をしていると必然的に句点が少なくなる」とも。隣の同僚が即座に「論文とか書く人は普通に句点、打たなきゃダメなんじゃないですか」的な言葉を返して、そうですよね、と思う。

 

・文章から滲む年齢の問題はさておき、論文を書いていると自分の文章を読み返しすぎた結果、最終的に句点を打つ感覚が崩壊して、毎日推敲のたびに、消したり、打ったり、を繰り返すことになった。日記を書くことは、もしかすると、句点の感覚を取り戻すことなのかもしれない。

 

・明日からは少し職場から離れて自分の作業を進める。夏の(夏休み、ではない)宿題をつくる。