&

  映像研究

・202307121916。久しぶりに帰宅する京王線で書いたならば記録が現実に追いついたように思える。一旦は追いつく。また離れる。それを繰り返しながらおそらく7月が一瞬のうちに流れ去り8月も溶けるように消える。その刹那。

 

・午前中に歯医者。その後新宿と池袋を経由して春まで所属していた大学へ向かう。今年一番の暑さが更新されたと感じられる。バスを降りて大学まで歩く数分で危険を感じる。さまざまに屋外で活動する人たちが無事であることを祈りつつ。リュックから帽子を取り出し被る。避暑。

 

・大学で授業を聴講すれば、そこからまた色々なことを考えることができる。学校を卒業しても学びは終わらない。その営みを学びと呼ぶ必要はないが、偶然にも自分は「学び」という語が腑に落ちるような生を生きている。多くの人にとって学びに特化した機関・施設は、生のいっとき立ち寄りそして通り過ぎる場所。通り過ぎるつもりでいたのに、大抵はひょんなことから、その場所に住むことになる。映画『ワンダフルライフ』は、そうした学びの場所のメタファーとして見ることができた。

 

・中断して。

 

・考えることは、考えるべきときに考える、という姿勢の大切さ。準備は必要だが過度な先回りは不安のあらわれ。最近業務のミーティングの場に投げられた「未知」という言葉のイメージを思い、引き寄せる。

 

・たとえば、写す行為の手前には見ることがある。そのような段階としての未。未知の未。