&

  映像研究

考える

・覚えている限り書いておく5月最後の金曜日。朝一番で総合体育館のトレーニングルームに行くとその日一日はどうなるか試してみた。これで通算6回目。1時間と少し身体を動かす。筋肉痛になる直前を狙ってみる。はじめにランニングマシンで張り切りすぎたらばててしまった。筋力および柔軟性について実感したい。

 

・帰宅して昼食。勉強する事柄が本という形で積まれているがなかなか乗り出すことができないままにこの5月が消えようとしている。PCを開けば文章を書くでもなくポッドキャストあるいはYoutubeで人と人とが話す様を見たり聴いたりしている。たとえば今日は成田悠輔という人の番組に有働由美子という人が出演し対話する様子を興味深く見聞きするなど。

 

・午後は職場で会議。年度が変わって少し役割も増えておりいよいよ6月から本格的に騒がしくなってくる気配。何か小さな作業をいくつかしているとすぐに時間が消える。平穏な夏を迎え入れるためにTODOリストをつくることからはじめるべきと気づいた。

 

・この最近人と人とが話をすることを気にしながら生活していて、そして業務において人と話をする。ふと自分に向けて(業務上必要な情報ではなく自分自身について)質問が投げられたならば、言葉に詰まる。あるいは言葉に詰まりそうな気配を察知してあらかじめ問いを封じる。封じることはさすがにひどいと思えば、質問を受けて沈黙する。沈黙してみる。それは沈黙のふりだろうか。そのような逡巡を重ね、修行が足りないと思い、思い続けながら、聞き、返す。少し前まで学生と呼んでいた人に「社会に貢献したいと思っています」と真っ直ぐに言われて、狼狽えたのは自分がまさにその「社会に貢献」という言葉を考えることがあるからだった。逆に訊ねてみれば良かっただろうか。「この時間に私は社会に貢献しているのでしょうか」と。

 

・考える、ということがどういうことなのか、最近少し分かったような気がする(これまではあまりよく分かっていなかったと気づいた)。出来る限り正確に言語化する練習をしているような日々。