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  映像研究

通り抜ける

・眠るタイミングを逸した真夜中に書いても良い。

 

・月曜日は休日。昨夜の職場の方との飲食の場で「何曜日を休日にしていますか」との話題があった。今年度は主に月曜日と土曜日だろうか。同時に「休日」と「作業日」の境界をどうするかを考えている。そうして、ひとまずの休日である今日は、昨夜の飲食の余波を感じつつ、部屋を片づける。床が全面的に姿を現すと同時にデスクの面も見えてきた。こうして4月中には作業を再開する準備ができれば良い。

 

・ぼんやりしながら、それでも動いていて、一ヶ月近く続く頭痛が通り抜けていきそうな気配がある。また少し自分の身体を知ることができた。

 

・午後から車で散髪へ。頭部が軽くなることも良いと思った。散髪に行くことは楽しい。さらに美容院の並びにあるコーヒー屋に行けることも嬉しい。いつもは散髪前に時間の調整のために立ち寄るが、今日は余裕があったから、散髪後に店内でしばしぼやっとしながらコーヒーを飲む。豆も買う。他のどこのコーヒーよりも「豆を焼いて乾かして砕いたものを通り抜けた液体を飲んでいる」と思う。美味しい。

 

・街道沿いの道をドライブすればリサイクルショップが並ぶ。そのひとつに衣料品を持ち込む。別のリサイクルショップでは買い取られなかった衣料品が紙袋が詰め込まれ車に置かれていた。約50点で約500円。ひとつひとつの品はかつて何らかの判断のもとに所有した物だから微妙な気持ちにもなるがしかし処分する意思を貫きサインし引き取って貰う。

 

・「古着」という言葉が「輸入古着」を意味していたのは昔のこと、だろうか。現在では一般に「古着」は「リサイクル古着」を指しているように思う。私たちがかつて購入して使用したものを、別の私たちが使うために、集めて、分類して、並べている。だからリサイクルショップが並ぶロードサイドは、経済社会が求める限りにおいてこの国の各地で開かれているバザーのように思われる。あるいはフリマとしての街。この光景を見て自分は、現在あるいは当面の未来とは、昭和と平成の後片付けなのだと解釈してしまいそうになるが、それもどうなのか。

 

・高度経済成長期の社会であれ、少子高齢化する社会であれ、人は必ずある特定の時に生まれて、その時以降の時間の中で育ってゆく。あらためてそのことを不思議に思いながら、歴史を(に)学んでも良い。

 

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