&

  映像研究

開き

・後から日記を書いても良い。良いが記憶がない。メモもない。写真も撮っていなかった。日曜日の夕方の会議で決定された事柄をもとに業務の作業(授業の準備)をしていたのだと思う。雨が降っていて寒い。自由だが何事かを進めることが難しかった。坂本龍一『12』を流していた。疲れたら適当に作業を切り上げて。

 

Keynoteでスライドをつくる。もっとよくつくれるはずと思いながらしかし、この作業において受け取る側が何を感じ考えるのかは想像の限界がある。即興的に言葉を話す方法に慣れているから(それが得意なわけでもない)、資料を準備して話すことの難しさに突き当たる。これも経験。授業するとは何か。学ぶとは何か。そんなことを考えていたら5月も折り返しになった。

 

・授業について考えながら、自分自身の関心がどこにあるのだろうかと思うこともある。考えるきっかけを提供し、考えを深める道筋を敷くことには一貫して興味がある。と同時に、考えるきっかけとなる具体的な事象それ自体に対して自分が興味を持ち続けることは、また別の問題と思う。表面的な事象を深めて自分にとって考えるべきと思えることとの接点を探ること。いつでもこうした段階が苦手だと気がつく。引き裂かれと断念があり、それでは何事のプロフェッショナルでもないと思う。思いつつ開き、直って。

 

・たとえば映像について考えるならば、自分が掘る道とは別の入り口にファッションやデザインを置いても良い。目に留まった色や形や質感を眺めることから、この現在の視野を取り戻す。

 

www.youtube.com