&

  映像研究

出来ていたこととは何か

・202105261932。今日の作業を切り上げるタイミングを失って今。今日も引き続き授業準備。途中で自分が学生の方のオンライン講義に出席。

 

・業務の課題を考えることやそれに伴うプリント作成に難儀している。これほど煮詰まったのは久しぶりかもしれない。自分の研究に意識を向けすぎた結果なのか。意識の焦点を切り替えることができない。とはいえ開き直って自分の興味を一方的に展開するわけにもいかない。自分は歳を重ねる。自分が言葉を投げる相手の年齢は基本的に固定されている。だから毎年遠ざかっていく。年々ハードルが上がるようにイメージしながら。さすがにもうこれは限界なのではないかと思いながら(その事を週末のオンライン・ミーティングで口走ったことを反省しながら)作業を続けてみる。

 

・「かつては出来ていたこと」が出来なくなっているように感じることは焦りを生む。しかし「かつては出来ていたこと」とは何だろう。そう問うてみることでその考えさえも捨てられれば良い。いつでも1からあるいは0から組み上げれば良いと言い聞かせる。

 

・藁にも縋る気持ちで本や雑誌を読み、Googleで検索する一日。参考上映で色々な作家や作品を紹介したいと思うが、作家や作品を紹介するときにもその作品を「精読」するように、まずは自分がしっかり読み解かなければならないという当たり前の事実に突き当たる。そうして検索の果てに辿り着いたのは美術や映像の教育について実践を行う二種類のレポートで、それはいずれも友人の手によって書かれたものだった。かつての時間も思い出す。しかし何よりもこの状況にとってのヒントがある。伝えることや共有することの困難が織り込まれた実践の記録。

 

・「かつてはわかっていたこと」が「わかっていなかったこと」に変わることを、あるいは新たに「わからないこと」が現れることを楽しめるように。