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  映像研究

点検を始める/続ける

・今年(今年度)は「点検」。4月17日の日記にも確かにその語が書いてある。それを言い換えれば「省(みる)」。自分と自分に関わるものをよく吟味したい。そのために外に向けていた意識をある程度まで内に向ける。

 

・自分が用いる言葉をいろいろな意味で省みることになる。ある言葉が自分の考えや感情や感覚に適っているのだろうかと。あるいは他者に向ける言葉ならばその言葉を発することが/書くことが適切だろうかと。そもそもその言葉の意味は正しいのだろうかとも。自分が知っていると思っている言葉は、全然そのような意味でないかもしれない。言葉が変化し、更新され、一部は壊れ、その結果として別の思考や感じ方が生まれる。

 

・恥ずかしいに近い心理が自分を学びのほうへ向かわせる。罪悪感に近い感情が自分の行動を変化させる。それを単純に良いとも悪いとも言えない。ただそのようでしかない。定型的な言葉だが「自分が知らないということを知る」場面がある。点検にはそのような面がある。

 

・新しい学びのために週に一度通うことになった。その最初の日。すべての学びがそうであるかもしれないけれども、学びには「学ぶことを学ぶ」と言える状況がある。それは何よりも楽しい。そして楽しいはしかし快への直線だけではない。

 

・肉体的には酷使しながら、けれどもこの数年の書く作業は、自分にとって快を求め続ける運動だったと言えるだろうか(それは今ならば)。そのような生活の中で「置き去りの半分」があるように感じていたことも事実。それは「この身体」を省みることでもある。この身体と生活を条件として捉え直す。その上で、この、自分の、身体が、どのような言葉を発するのか。それを吟味し鍛えることを求めている。