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  映像研究

業務上やむを得ない力

・昼から夜まで業務。会議2本。書類作成や細かい連絡。授業。そして3ヶ月ぶりのささやかな打ち上げ。マクスによってこもった声を張り上げるのではなく真ん中に向けて放ってさかさまに装着したフェイスシールドをメガホンに見立てるようにして反射させる。そうしたイメージで発声することにも少し慣れた。きっと半年前の自分がこのくだりを読んだならば日本語でありながらもまったく意味がわからないだろう。意味がわからないことをしている。いつかマスクもフェイスシールドもなしに言葉を発することができるようになったら、また別の身体で、また別の発声をしているのだろうか。

 

・そうした発声とともに複数人に向けて意味を伝えようとする上で、やむを得ず力が入る。その力が抜けて客観的に考えれば、自分の有限な身体の力を切り崩し譲り渡していると思う。それを資本主義における労働として捉える意識はつねにあるが、一方でその意識が消えることもある。書くことはその力を取り戻す一つの方法であるかもしれない。

 

・梅雨入り。この梅雨が明ける時、何をどのようにしているのか。予想できない。