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  映像研究

再開する日

・202301191924。帰宅する京王線で書いてみる。気がつけばいつも現在にいる。「過去の『今』」から現在のこの時の辺りを想像していたことをぼんやりと思い返してみて、その想像の通りでもあるような気もするが、全く違うようにも思うのは、それが何より現在が現在の真っ只中であることに拠る。現在を点として指し示すことはできない。基準となる日程が強く意識された生活であるからこそ、滑りながら消えていく時間の不思議を少し思う。

 

・自分の作業を再開する。業務前の30分のエクセルシオール。業務後の1時間のエクセルシオール。自分が書いた文章を読み直し、あり得るさらなる問題提起を考える作業。究極的には終わりのない作業だが、文章と自分の考えが(再び)一致するところまで、そして、文章の全体が俯瞰できるところまで、進められればと思う。週末も2回ある。きっと大丈夫と唱える。

 

・今日の業務は今週一番重たいスケジュールだったから、それを終えた自分を労いたい。大抵いつも労っているかもしれない。

 

・業務の中にはいつもの通りに学びがあり、この時期には毎年その学びに身を浸している。一方で今年については自分の作業とのバランスが難しく、学びに浸りきっているわけにもいかず、ギアを切り換える態勢が求められている。多くの人がおそらく、そのような切り換えを行っているであろうことを想像して、驚異的と思う。

 

・多くの人がおそらく、考えるのではないか、「冬眠」という生の状態(?)が人間の社会に組み込まれたならばと。帰る道に見たことがある狸の姿を探して、冬眠のことを想像する。もうすぐ大寒