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  映像研究

いつのまにか通りすぎている

・202209152119。帰宅する京王線で書いてみる。週末の業務に意識がすっと入っていかない、ことから、いかに平日の月火水曜日は業務から離れて、自分の作業に集中しているかを知る今。

 

・文章を書くことばかりをしていると、言葉を話すことが、いつもに増して下手になっている。もう何度もこの状態を体験しているが、そのたびにつたなさに驚く。かと思うと、何かをきっかけに急に勢いづいて速く話したりもする。

 

iPhoneのカウントダウンというアプリによれば、いま書いている文章を提出するまで、あと残り2ヶ月2週間。感覚としてはこの瞬間以前の2ヶ月くらいが一瞬で消えた。9月の半分も溶けるように終わる。溶かしてはいけない。9月は30日だから、正確に半分の折り目をつけて正方形の紙を畳むように想像する。想像し直す。

 

・ときどき、「回想の対象の側」になってみる。なってみる、というか、そのように遠くから現在を見る視点を仮構する。「現在」を「あのとき、」として語る練習。それが日記を書くことなのだろうか。

 

・駅までの道の田の稲はいつのまにか垂れていた。上にのびようとする力よりも、膨らむ力が勝る、変化の質が変わる、分水嶺のような瞬間が、自分が見ていない時間のどこかに存在したのだろうか。それは瞬間なのだろうか。力のイメージと、力の質が変化するイメージを、自分の内に持ちながら。

 

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