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  映像研究

うっすらと大人

・後から書いておく週末の夜の記憶。朝から夕方までの業務を終えたならば急いで都心(山手線の内側)へ。母校の他学科の卒業制作展は夜までやっていた。家族や友人と会いつつ一時間半作品や発表を鑑賞して考えの種のようなものをいくつも得る。鑑賞した後には友人のお店で夕食。直前のアポを試みるも満席とのことで一旦は諦める。週末だし人気店だから仕方ないねと移動しかけたことろで席を取って貰えるとの連絡を貰い感謝。感謝しつつ戻って乾杯。「シャインマスカットと柿のサラダ」、「鹿肉のコフタ」、「ゆりねのバター蒸し」など次々注文してビールやワインを飲む素敵な夜。たとえば、15年くらい前にも自分はこの場所にいたことがある。いま具体的に何かの出来事を思い出すわけではなくとも、そうした過去があったことが、確かな安心を生む。それは美味しいものを食べて飲むことや、楽しい会話をすることとは、別の次元の経験として、現在の自分を支えている。友人の存在は大きい。何人かの友人の存在は、自分の思考や感覚に、それ以前には戻れないような、つまり決定的な影響を与えている。当たり前のその事実に驚くこともある。そして自分は、日頃どれほど大人気ない振る舞いをしようとも、やはり大人であるのだと思った。大人であり人間であるのだし、大人になり続け人間になり続けるのだろう、と店のあちこちで華やかな雰囲気で時を過ごす人たちを見ていて思った。普段そういうことはあまりないけれども、郷愁のような気持ちがうっすらと湧く。だけれどもそれは、ある特定の時期の過去に戻りたいという願望とは全然異なる気持ちだということを知る。その気持ちは、遠くを見るときの気持ちに似ているようにも思う。遠くが自分と結ばれることの不思議とも言えるか。自分は何も知らない、と思っているかもしれない。未だ広く世界が存在していることの確信。それを特に現在から過去への眼差しの内に捉えた。そうした感じがうっすらと浸透する夜だった。