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  映像研究

必要な無為(メンテナンス)

iPhoneのカレンダーに何も予定がない日の日記。雨のち晴れの日。家族を車で駅まで送る朝。帰宅して昨日から引き続き毛の衣料品を洗う作業に邁進する。並行して業務のスケジュール作成。昼にカレーを食べると午後から晴れてきた。

 

・家で資料を整理して本を読むことも考えたが、読むではなく見ることをしたかった。カメラを持って家を出る。数ヶ月ぶりにカメラのファインダーを覗きシャッターボタンを押す。こんな風だっただろうかと思う。雨で濡れたアスファルトが午後の光を反射する。光をかきわけるようにして、家の前の緑にフォーカスを合わせる。露出をはかり調整する。写す。フィルムに刻まれた光景は直後には見ることができない。一瞬前を思い出しすぐに忘れる。

 

・写すことを練習する。何度もはじめから。

 

・西へドライブ。16号を北上して福生の古道具店。買うつもりのない陶器の皿や木の板を手に取り見る。作った人の意志や意図よりもその後の時間が浮かぶような品物を見て触れる。なぜ、このような行為を必要と思うのか。考えてみることができるし考えてみたこともある筈だった。そしてもっと、もう少し考えたい。

 

・さらに北上して入間のアウトレットへ。溢れる新品の衣料品を少し見る。防寒を口実に購入できる物があればと思ったが何も買うべき物はなかった。これもまた自分にとって必要な時間であり行為である。何の役にも立たない、そして何の歴史とも接続しない「見ること」をした。食品コーナーで正月ぽいおやつだけ購入した。

 

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