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  映像研究

花を写す

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・202206122101。帰宅する京王線で書いても良い。7:00に家を出て職場の最寄りのエクセルシオールで1時間だけ作業。出勤して9:00から20:00までが消える。梅雨らしい、肌寒い、雨が降ったりやんだりする天候を想定したけれども(長袖のバスクシャツ)、実際は晴れていた。少し暑かった。業務は遠足だったから晴れて良かった。

 

・一昨日、昨日と、別の場所で、別の花を写していた。「花を写している」と思いながら。そして今朝もまた別の花を見る。花を見て、花を写すという行為の平凡さを思う前にカメラを取り出して写している。それをたとえば美しいと思うような意識が動く前に、すっと伸びている先に咲いたそれを写す。それを美しいと思っても良かった。あるいはこうした一連の行為を美の感受と言っても良さそうだった。照れのような心理も忍び込みつつ、しかしそうしたこととは違うことも考えているのだと思う。

 

・空間の限定された範囲にのみ焦点を合わせることと花を写すことには親和性がある。すっと伸びて空中にそれが存在するから、焦点が花に合う。写真のイメージの中でレンズの描写が発揮されている部分からは、質感(柔らかさや抵抗感)が豊かに想像されるから、焦点が合った部分=花を見ることによって触覚的な情報を想起していると言うこともできる。

 

・すっと伸びた、空中に浮かんだものを見て、触れるように写したいと思う。そのような思いを持っていることによって、視線は花に向かうのか。