&

  映像研究

12月1日

・2022年12月1日の記録。

 

・朝少し遅く起きて洗濯。数日前までのように早速Wordを開いて作業をすることがない新鮮さ。少しの猶予の時間と知っているからこそ、今すべきは身体に張り詰めた力を緩めること。そう考えて、あるいは考えるまでもなくそのように午前を家で過ごす。

 

・午後から外出して職場へ。確かに寒い。昨日までとは違う。しかしまだ冬という感じではない。準備のち業務。14:00から21:00までが消える。これが自分にとっての日常だった。

 

・そして、帰宅する京王線で、2年前の、2020年12月1日の日記を読めば、「今日から論文を書き始めた」と書いてある。その作業をちょうど2年の昨日で一旦閉じた。まだしばらくは続くけれどもひと区切りではある。「断片的なメモのような言葉はいつか論文と言える形を持つのだろうか」という過去の自分の率直な疑問を今再び考えてみることもできる。「形を持った」と言えるのだろうか。章立てを作り体裁を整え書き上げるという意味であればそれは「形を持った」と言える。だがそう言い切れないとも思うのはなぜなのか。いずれにせよ、もう数日経ったら反省を始める。

 

・そして、2年前の自分は「教える」という言葉と「育てる」という言葉の違いについて考えてもいたようだった。考えてそして、古い記憶の中の会話を想起して怒りを感じてもいるようだった。その記憶と感情の先にいる現在。怒りも時には必要と思う。あるいは必要とは別に思いがけずわきあがるもの。

 

・12月が、その先の2023年がひらける。