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  映像研究

話すことは書くこと

・202111292317。風呂場に本を数冊とスマートフォンを持ち込み、半身浴しながら論文の作業している。月末までに、何とか、今の作業を一度終わらせたい、と考えていると、このようなエクストリームな方法になった。少し前に同僚に教えて貰ったUDトークというアプリを開き、思いついたことを話す。言葉は、多少のミスもありつつ(しかしそれは誰の、何の?ミスなのかわからない)、快調にテキスト化される。だからこれは論文の作業をしていると言える。

 

・昼にヤマト運輸に集荷の連絡をしたときに、ショートメールもしくは通話で対応しますと案内が流れて、「そうなのか、通話の方が安心だな」と考えて通話を選択したが、通話の相手?は「AIです」と言う。AIにむかって、「11月30日、午前中、です、はい、いいえ」などと言えば、復唱??されて、しかし確かに受け付けられているようだ。話すことはテキストを打つことに変換されていた。全然別の事柄ではあるけれども。

 

・そうしてしかし、あらためて自分の「書くこと」は、やはり、既に書いた文章を頭から読むこと、つまり読み返すことを抜きにできない。頭から読み、文章が前にのめり込もうとする感じを脳に染み込ませて、自分の書き進める動機を自分自身が思い出しながら、まだ拓けていないページに、次の言葉を放る。そのようにしてしか書けない。何度も読み、飽きるほど読み、色々なことに気づく。それは面白くもある。とはいえ限界は来る。

 

・という、この日記は全て話すことで書いていない。スマートフォンをつるつるしていると言葉になった。