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  映像研究

ある日

・202209162100。帰宅する京王線で書いている。今日は15:00まで自宅で作業して、その後業務へ。ただし業務から帰宅したならばすぐにオンラインで業務のミーティングが予定されている。それが終わり、明日の面談(自分が相談する側)の準備をしたならば、少し気をゆるめたい。金曜の夜だし。

 

・タイトロープ・ダンシング。そう口ずさんでみても、声に出してみても良い。消え続ける2022年のカレンダーを見ながら、少し先を見ながら、綱の張り具合をたしかめるようにして、自分の先端に意識を集めて、秋の真ん中に向けて進む。

 

・気がせいている。せいていると感じる。目の前のものの、次の瞬間を掴みたい、早く見たい、というような感じが続いている。あるいは寒い季節のことを考えている。空気がつめたく乾いてきたら、いまとは違うもう少し別の思考がはたらきはじめるだろうかと考えている。

 

・駅までの道のいくつかの田は、この数日凄い光景を見せている。立ち止まり、スマートフォンを構えても、写らない。そう思いながら今日も写す。15:00過ぎの光が稲穂に当たる。つぶつぶした感じ、美味しそう、と思いながら画面に触れたかもしれない。

 

・光は真っ直ぐに進む。光が届かない場所もある。存在していても光が当たらない場所はある。その場所を少し想像して。これは一度きり、と、ずっと起こり続けている、の両方を頭の片隅に置きながら、夕方の時間を過ごした。

 

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