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  映像研究

考えの破片

・202208192114。帰宅する京王線のシートに深く座り書いても良い。8:30から21:00が業務に消えた。今日の時間が消えた速度は、この夏が消える加速と重なると思った。季節が移り変わるディゾルヴに突入したと思う。

 

・今朝は寝坊からはじまった。5:30に起きるつもりが6:30に気づいたことにより、朝のエクセルシオールで作業する一時間が消えた。その無念からのスタート。思えば寝付きが悪かった。そして夢見も悪かった。なぜだろう涼しいのに。元同僚に出会いある人物の近況について話して分かれた後で、元同僚から「そういう人物の形容は口にするべきではないと思う」という内容のLINEが送られてきて酷く反省する、という夢。自分の言語活動の迂闊さを象徴するような鮮やかな夢だった。こんな練り上げられた夢を上映する力を弱めて、ぜひとも脳を休めて欲しかった。それが叶わない日がある。

 

・あるいは、布団の上で横になり、横になっているけれども、うまく横になれていないと感じる夜がある。身体が強張っているのだろう。近未来の為すべきことに関する計画に不安がある際に、このように強張ることに気づいた深夜4時。暗い部屋の自分の頭部に電球の光が灯った瞬間があった。ストレッチして少し眠る。

 

・来週の計画のために「新宿 無料 PCR」で検索。そして予約。そういえば新宿三丁目の雑居ビルに車で向かい、即日3万円でPCR検査(会社負担)を受けたのは昨年のちょうど今日ではなかったか。8月3週目の金曜日の夜。季節は巡る。心理的な衝撃も少しずつやわらいでいく。同じ、続く、時間に生きている。同じ、続く、別の身体で。

 

・別の話。職場で同僚の方が「恐怖について」というテーマを出題したところ、「他者を傷つける恐怖」という応答が顕著に見られたという話題。それを自分(たち)よりも年齢が少ない人の傾向として語るならば、明らかな世代論となるだろうか。いまそのことをぼんやりと考えてみるが、明確な考えは結ばない。しかし自分の場合は、世代による断絶よりも、あらゆる人に浸透しているこの時代の作法や関係の形式として捉えるかもしれない。「傷ついた経験」ではなく、「傷つきやすさ」という概念について、いつか誰かと話をしたい。