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  映像研究

呼吸と認知

・202203282139。帰宅する京王線で深呼吸。息を吐いて力を抜く。呼吸をしていることを久しぶりに思い出した。8:30から21:30までが消えた。記憶が朧げで昨日のことだったか今日のことだったのか定かではない。いま今日の出来事を反芻している。すべての行為を80〜90%程度にとどめていたかもしれない。何事も突き詰めずに「次がある」と思って言葉を選ぶと少し緩んで自由に動けるように思う。春に新しく出会う人の多くは身構えて強張っているから、どうしたらその緊張を解けるのだろうかと考えている。ユーモアに満ちた人ならば存在自体が周囲を自由な場にするのかもしれないが、そのような才のない自分は色々と工夫をしていた。そのひとつが「次がある」と信じることかもしれなかった。飛び道具として「自分の方が緊張してみる」というのもあるが、それも意思してそうするのではなく、自然と現れた緊張に別の価値を与えることを選んでいたのだった。息を吐いたならばそうした認知の能力から自由になる。