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  映像研究

2時22分

・202202222031。帰宅する京王線を乗り換える調布駅のホームで書いておく。今日は父の命日だった。2014年の2月22日午後2時22分。覚えやすい。昨日思い出して、そうか、では午後2時22分になったら、どのような場所にいても、少しの間だけその日のことを、その時のことを思い出そう、と思っていたけれども、完全に忘れた。今日のその時間は、職場の最寄駅に着いて、まだ少し早いな、と思って本屋の雑誌コーナーをぐるっと一周していた。春らしい雑誌の表紙に気を引かれていたら、すっかり忘れていた。忘れて2時22分を通り過ぎていた。今、忘れたことを思いながら。このように、生きている、ということは、うっかり忘れる、ということだと思う。それ自体は刹那的な対象に気を引かれる。気を引かれる対象は動き続ける。きっとこの後、帰宅をして、夕食の準備をして、家族にその時間に忘れていたことを話す。話しながらしかし、晩ご飯を食べることに夢中になるかもしれない。その後満腹になったならば急激に眠くなり、すぐに意識を失うだろうか。