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  映像研究

雨水

・202202192127。帰宅する京王線で書いても良い。久しぶりのほぼ業務の一日。5:00の目覚ましでぼんやり目覚めて6:00に活動を始める。7:00に家を出て8:00に職場の近くのガストにinする。2時間は集中して作業。文章が少し動いた。

 

・10:30に職場に着いて21:00まで。成績が発表される一日。メールと電話の対応で時間が消える。途中新年度に向けた会議なども。この季節の仕事は主に春からの準備だったことを思い出す。

 

・季節の進み具合が気になり去年の日記を読み返せば、最高気温が20℃に近く薄手のパーカーで外出している。今年は少なくとも去年と比較して寒いのだろうか。

 

立春の次には雨水。うすい、と声に出してみれば、雪が溶けて流れる様子が浮かぶだろうか。雪が降らないこの土地は単に乾燥していて、光景が停止しているように感じられる。乾燥した植物の根元の土に含まれた水分が空中に放たれる。または蕾を膨らませる。生き物の呼気や汗も大気と混ざり合う。

 

・そのようなイメージを持ったのは朝「空気」や「大気」と写真について書いていたからかもしれない。空気は通常目に見えないけれども、光を銀の粒子の変化として定着する写真は、一見物を写しているようでも、その物までの距離を、言い換えれば、見る身体と対象物のあいだの「空気」「大気」を写していると言えるのか。

 

・匂いを感じることは、匂いを発する対象とそれを感じる身体とが空気を媒体として触れているとも言えるかもしれないが、では何かを見ているということは、見ている対象とそれを見る身体とが光と空気を媒体として触れていると言えるのだろうかと考える。中断。