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  映像研究

秋の夕暮れの記憶

・202110212125。帰宅する京王線で少し書いてみる。今日は秋の中心かもしれないから、秋の秋らしさについて記録する。

 

・寒さで起きてリビングのファンヒーターも、作業する部屋のアラジンストーブも、点けてしまった。灯油の匂いで風景が変わる。しばらく点けて消す。窓を開ける。それを繰り返すことで、少しずつ身体に熱が保たれる。そのように昼を挟んで15:00過ぎまで作業。唸りながら。

 

・自転車で駅まで向かう道は完全に秋だった。稲は全て刈られていて、空気が乾燥している。川岸の植物が午後の陽射しを受けて、夏の眩しい緑とは違う色を反射している。葉の重なりがさざめく影と、岸が落とす大きな強いかたまりの影がある。それらが渾然となった道を走る。15:00過ぎはもう夕暮れに近かった。

 

・昨日の夕方、16:30くらいから18:30くらいまでの時間に神保町を散策していて、一つの古本屋に入り5分や10分店内を見たならば店を出る、ということを繰り返していて、店を出るたびに夕暮れが深くなる、秋の夕暮れは少し寂しいような感じもあり、店に入り、出て、出るたびにまた寂しい、もっと寂しい、と繰り返していることは面白かった。これも秋の秋らしさだろうか。

 

・平日の業務は夕方から夜の時間帯だから、その開始の時刻に薄暗いことも季節の変化を感じる要因だった。毎年この理解を繰り返している。

 

・確か2005年くらいの一番時間を持て余していた時期に、秋にひとりで養老天命反転地に行ったことを思い出す。日没という現象を観察してみようと思い、自分の影が消えてゆくのを見た。あるいは自分の影が闇に溶けていくように感じた。何かの謎のようなこと、何かの秘密のようなことに、少し近づいたように思えたかもしれない。

 

・2007年の11月3日に山に登り、初めての自主企画の登山だったから、夕暮れの時間をなめていて、危うく道が見えなくなるところだった記憶。山の17:00は夜。特に秋から冬の夕暮れは危険。日帰り登山の帰りの時刻はとてもシビア。このような経験を通じて学んだ。

 

・来ているものがどんどん変わる。クローゼットから引っ張り出す服で、また新しく思い出す。