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  映像研究

テレビを見ている

・202109242117。帰宅する京王線で書いても良い。今朝はやや虚脱を引き摺りつつ起床して午前中は家で作業。10,000字を整えつつ15,000字に乗り出そうとしている。深いところへ掘り進めているという感覚よりはより高く登るイメージを持っている。

 

・見出し(題?)の通りだが少し前に気づいたことは、テレビを見る時間が多いということ。テレビの撮影と編集の質が今だからこそ新鮮ということもあるのだろうか。帰宅してニュースを見たならば、大抵その後NHKオンデマンドで、情報番組など見ている。

 

・数日前に見たのは『東京の生活史』。期待しすぎたせいか、やはり基本は書籍の方だと思いつつも、映像に映る人の(マスク越しの)表情や声の調子から感じることが多くある。ギャラリーに勤めているという方のインタビューの感じが特に良かった。人が本について何か言葉を発することには特別な重さがあるように思う。

 

・あるいは昨晩は『新日本風土記』の「多摩丘陵」の回。少し前に見た「地下」の回も興味深かったが、やはり「多摩」や「武蔵野」の地名がつく映像や文章はとりあえず見たり読んだりしてしまう。多摩ニュータウンの開発で人が住むようになって今年でちょうど50年だという。いま自分が住んでいるのはその最も新しく開発された地域の周辺でもある。普段自分が目で見ている場所が映像に映ることも面白い。養蚕や畜産をされている方の生活の場の様子に惹かれる。忙しく動く人も眩しく感じる。

 

・映像に映る場所や人を見たい。あるいは場所や人を映像で見たい。これは殆ど同じことだけれども厳密には異なるのかもしれない。10月中旬にアテネフランセで佐藤真の特集上映があると知り、スクリーンで場所や人を見たいとも思う。場所や人こそを写した映像がスクリーンに映される、その空間に身を置きたい。