&

  映像研究

映像

・202310242030。帰宅する都営新宿線で書いても良い。

 

・今日も午前は家でくつろぎ午後から職場で3時間だけ業務。準備の仕事は次々に湧いてくる。準備をするほどに精度があがる感じがあることは嬉しい。チームの人たちに共有するまでが準備。課題案をLINEに投げて17:00過ぎ。

 

・観たい映画がタイミングよく上映されていたから、事前に予約をして、はじめて東京国際映画祭に行ってみた。TOHOシネマズ日比谷のスクリーン12を探して日比谷を歩き上映前に駆け込むことができた。このように大きな劇場の大きなスクリーンで映画を観ることは新鮮。

 

・杉田協士監督の『彼方のうた』を鑑賞する。これまでに『ひとつの歌』、『ひかりの歌』、『春原さんのうた』を観ているが、それらの映画と比較しても、この映画で焦点を当てられる人物たちの関係は明らかではない。端的に分からない。ゆえにこの映画を形容しようとすれば、「〜がない」、「〜が少ない」、あるいは「削ぎ落とされている」、「余白が多い」などと言われるのだろうか。けれども重要なことはそれを余白として見るのではなく、充満として見ることではないかと思う。これほどまでに「運動」も「出来事」もある、と考えること。映像に対する徹底した態度が貫かれていると感じた。

 

・芝居のことを気にしながら観ていたように思う。特に役者が発する言葉や声のありようが気になる。その発話は「自然さ」というようなことを問題としていない。時に、天使たちが囁き合っている、と本当に思った調子は、この世界に確かに存在しているらしい、特別な親密さを写しとったイメージなのだろうか。

 

・そして写しとるカメラのことを考える。この映画では、カメラを持つ人が写される。この映画は、映像を撮る行為と映像を見る行為の間を確かに示す。そこから映像という技術自体の問いが浮かびそうにもなるが、それはあくまでもこの世界のありよう(偶然)としてあるだけで、やはり映像=カメラを手にするのは人間だった。人ないし場所が写しとられている。

 

・中断して。

 

世田谷美術館で2020年に行われたパフォーマンスの記録映像および記録の仕事に関する対談を聞き直してみる。カメラという動画が、撮影という行為が、人間と、この世界と、どのように存在しているかと考える上で、時々立ち返る。

 

www.youtube.com

 

www.youtube.com

 

www.youtube.com