&

  映像研究

日誌(20220302)

 

・202203021944。「2022」と打ち、「0302」と打ち、それぞれ「おお」と思う。気がつけば2022年にいた。3月にいた。しかも水曜日だった。あっという間に今だった。

 

・今日の作業日誌。8:30から19:30まで。Wordが30,000字を超えたから頭から読み返すだけで午前が消える。途中で魔の15:00前後が訪れたが概ね充実した作業だった。17:00くらいに一旦休もうかと思ったが「もう少し、もう少し...」と騙し騙しの発想で自らを騙して継続した結果、砕けなかった岩の壁が崩れた。あるいは開かなかった扉が開いた。地道にテキストを読むことでしか先に進む道は開けない。「なんだこの文章」「ここまでの論と矛盾するじゃないか」と思っても、じわじわ読んでいくとぴったり合う解釈が現れる。不思議だ。18:00くらいに光を浴びたような感じを持つ。論文執筆におけるスピリチュアル形容問題。

 

・ひと息ついてタイムラインをスクロールすれば戦火。見るけれども見ない。結局見る。

 

・不調は普通に身体に現れる。昨晩22:00くらいに急激に肩が重くなり(not心霊)あまりない種類の頭痛に襲われた事も、基本的には身体の強張りに起因するのだろうか。緩めなければいけない。続けるために。

 

・現実の空間を知覚することと平面映像に現れた空間を知覚することの差異について書いていた。書いている自分はずっと平面映像であるMacbookのスクリーンを見ている。強張るに違いなかった。

 

・もう何度も(願いのようにあるいは祈りのように)書いているが、市立中央図書館での作業が素晴らしかったのは、ふと息をついた時に、多摩川へ、その向こうの府中競馬場のあたりへ、あるいは西の方の武蔵野の山々へ、視線を送ることができたことだった。息をつくことは固定された視線を彼方に送ることでもある。窓を開けても10m先の隣家の窓が見えてはいけない。視線がすぐにぶつかり跳ね返る。もっと遠くに送りたい。

 

・空間を、奥行きを、空気をくれないか、と思って音楽を聴いてもよい。

 

・クラシックでもHIPHOPでも人の声でもない何かの音楽。そうSiriに話しかけたわけではないが、AppleMusicは数年前にリリースされた、VIDEOTAPEMUSIC『ON THE AIR』の曲を再生してくれた。音響機材に全然明るくないけどMacbookのスピーカーは優秀だと思う。この部屋が空間であることを思い出させてくれた。

 

www.youtube.com