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  映像研究

空気の感じ

・202108181055。今日は業務が午後からだから午前は家で作業。と思うがなかなか立ち上げることができず疲労についての日記など書き今。

 

・美術館に展示を見に行っていないことについて叱責される。叱責は大袈裟でも、厳しく問われる、という夢を見て、目覚める。このイメージはどういう記憶や思考の整理の過程なのか、単に美術館に展示を見に行っていないことに罪悪感を持っている、ということか。しかし、このような情勢になって以来、特に「見に行くこと」は簡単ではない。強い気持ちが必要になる。身近な人の多くは生活の一部として「見に行くこと」が組み込まれているから、会話をしていて時々自分の「腰の重さ」のようなことを感じることがある。その思いが何の比喩もエフェクトも介さずに夢に投影されたのか。

 

・猛暑から、冷夏から、普通の夏の終わりへ。この季節の感じがいつからか好物になった。湿度が消えていく感じ。視界がクリアになる感じ。身体が軽くなる感じ。その感じを知っている。待っている。しかし実際に季節が移り変われば、いまがまさにその感じだ、と思うことは稀で、気がつけば過ぎ去っているかもしれない。この季節の空気の感じをスナップショットできたならば。

 

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・202108181951。帰宅する京王線で続きを書いても良い。今日は適度に温存することができた。食べることや寝ることによって必要な熱を保ちそれを活動によって放出する。ならば「疲労」とは何か。

 

スマートフォンの壁紙に「勉強」と書いた文字を設定している学生を見て、自分も余程「論文」としてみようかとも思ったが流石にそれも、と思って目下の研究対象の作品を撮影した写真にしてみた。「これを見ることを自分の生活の中心に置くべき」とする。

 

・学生に投げるアドバイスらしい言葉は、本当にブーメランと言うに相応しく自分に返ってきて突き刺さる。あるいは叩きつける。思考の活動に「対比」は設定できるが、この現実には何も対比されている事物や事象は無い。作品もまたそれが言説ではなく、産み出された存在と考えるならば、やはりそうなのだ。ということを今日話し、自分が理解した。