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  映像研究

息を吸うように

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・息を吸う。吐く。ために家の外へ出る。月曜日は「【A/P/N】自宅で論文作業」とされている。朝近くの公園で少し運動。「少し走る」と書くべきか。「小走り」と書くと異なるニュアンスが宿る。40分ほどで4km。山登りをするだけの体力を取り戻すことができるだろうか。山を歩くことに必要な力は、持久力だけでも筋力だけでもない、重い荷物を背負うことでもなく、場所を察知しながら歩く感覚のようなもの。今日は公園から公園のあいだ、少し山のような道を歩いているときにふとそのような感覚を思い出した。その感覚はもちろん、見ることと関わる。

 

・帰宅して洗濯機を回しながらいくつかの必要なメールを送信。午前中はリズムやビートのない音楽を聴くでもなく流していることが多い。ピアノの音が多い。たとえばそういう「向き」というか、「傾向」というか、何かを求めることが何に拠るのか、ということに興味がある。「無意識」と言ってしまっては探求のしようがない。単純に「年齢とともにダンスミュージックが聴けなくなる」とかそういうことでもないように思う。そういえば、経年と並行した味覚の変化もまた気になっている。見ることも、聴くことも、同じように変化するのか。

 

・お昼はラ王柚子しおに自家製メンマ。たけのこがだぶついたときにはメンマに煮る。

 

・午後は論文作業。プリントアウトした原稿を通して読みながら句読点の位置など可能な範囲での修正。やめどころがわからなくなりそうだからと、14:30に提出。

 

・そして今。夕食の準備などしながら。適度にリズムのある音楽を流しながら。次に読むものを探しながら。19:00少し前でもまだ完全な闇ではない。