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  映像研究

無題0509

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・日曜日は朝から業務だった。色々と懸案はあるが基本的には5月いっぱいは通常営業。職場の別の科の方と机を並べて「オリンピック、どうなると思いますか?」などと会話する5月。強い日差しが降り街路樹に注いでも道を歩く人少しだけ少ないこの季節のことをいつか思い出すこともあるのだろう。「ここは、2021年の、5月です」と残す。

 

・春はかつての知人友人同級生、特にしばらく会えていない人たちの行方が気になる。それは何か生体的なことによる心理なのではないかと考えるようになった。その心理をネットワーク=テクノロジーが補完する、または増大させる。そうした「かつての知人友人同級生」のことを断片的に知り(だがしかしそれは知っているのか)、そうして自分が業務の現場で出会う人々の様子を見ると、自分がいかに時間が経つことに無頓着であれ、遠く隔たった時間のことを思う。

 

・思い出せば20代後半〜30代はじめの頃、月に一度どころか週に一度の勢いで友人と連れ立って山登りしていた時に、すれ違う方々から「学生さん?」と訊ねられることが常で、また学生さんにされてしまった、ということ自体がある種の自嘲を含めつつ自己を規定していたけれども、今考えればそれは単に「20代後半〜30代はじめはほぼ『学生のような者』である」という事実でしかない。さすがに今山登りをしたならば「学生さん?」とは訊ねられないだろう。訊ねられないと思う。きっと。それが自分の日常的な感覚における「時間」や「変化」のすべてかもしれない。たとえば、10年。

 

・帰宅してNHKオンデマンドで『今ここにある危機とぼくの好感度について』第一話を見る。渡辺あやさんが書かれたドラマを久しぶりに見た。