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  映像研究

無題

・202012142223。月曜日の終わりに書いておく。一日家で作業。のつもりだったが、午前中に家の片付けが必要になり、午後は業務連絡とその準備をしていたらあっという間に一日が終わる。なかなか論文を書く態勢を作れない。作れない、も何もただ机に向かって(椅子に座り)マックブックを開き、キーボードをパチパチすれば良いのだけれども、その前に読むことが整わない。何度読んでも腑に落ちない。腑に落ちないままに、腑に落ちなさをメモしている、その状態が続いている。続けるしかない。

 

・この時期になると意識は向こう側へ向かう。意識の上での時間の任意の切断としての「年越し」。いっそ年を越してしまいたい、という気持ちになる。新年の抱負を膨らませることと過ぎる年を忘れることは対になっている。2021年はルーティンの一年にしたい。勿論論文を書くことが一番大切だが、それを中心にルーティンとしての生活を構築する上で、目下興味があるのは「料理」「筋トレ」「ランニング」の3本。しかもそれらは他でもない自分の身体を中心にして重なり合い結びつく。ある行為を繰り返すことが、身体とはそもそも「繰り返すこと」と「変化すること」を併せ持っている、ということを顕にするのではないか。そんな期待をしている。そして「期待」はすべて動くことで壊れ続ける。

 

・読む文章を書いた者に「対する」姿勢と、読む文章を書いた者に「なる」姿勢があるのだろうか。「見ること」は、見るものに「なろうとすること」だということを、ずっと考えている。

 

・昨日の夜のTravelling Without Movingで気になったジャンルも定かではない曲を調べてもう一度聴いてみる。「冬の空気に合う」と言われていた曲を一人の部屋でかけてみると少し身体が緩むように感じる。明日から益々寒くなる空気を想像する。その空気の中でものを考えることも想像する。

 


Sly5thave. - Super Rich Kids