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  映像研究

新しい朝、日記

・202004081016。毎朝6:00にアラームをかけているのだけれども今朝は8:30まで寝てしまった。洗濯機を回しながら夜の間に来ていた各種の連絡に目を通す。必要に応じて返信。仕事のため外出する家族を送り出してニュースなど見る今。昨晩は家でシャルキュトリー的なものをいくつか作ってしまい、そうなったならばビールを何本か飲むよりほかなく無意識の入眠。これからの自宅生活、飲食には気をつけようと思う。そして気をつけるための一つの手段としての日記がある。生活を記す。その生活がどのようなものであるかが示される。それは面白いことでもあるだろうか。自分が気にしているブログもいつもよりも多く更新されてたように思う。

 

・通常業務(授業)を非常事態宣言以降のそれに振り替える為の業務というものが発生しており、宣言の解釈に応じてつねに業務の内容が更新される。その「更新されること」もまた非常事態ではある。応答して考える。考えている間にまた更新される。そして未知の状況に対してどのような方法が有効かと常に考えている。もしも「平常」とか「通常」という状態に戻るのならば(あまり想像できない)「非常事態」の間にどのようなことをしておけば良いのかという問題を常に考えることになる。しかしある段階から先はわからないと開き直ることも必要だと考える。無限に可能な想定を断ち切る。

 

・そういえば3月半ばに業務の部門のtwitterアカウントを作ってみた。10年遅かったと思いつつ不必要な逆張りの精神を反省。そのアカウントにログインしてみていまこの状況でおそるおそる「Stay Home」と呟いてみたならば、それが強い意味を持った広告であることを思う。非常時にはオンラインやネットワークの意味を再考する環境が発生する。言葉とネットワークが掛け合わされた時に生み出されるメッセージについても考える。あるいは集団でオンラインで何かを議論することの可能性と困難についても考える。どうして今まで考えずに生きていたのか。「リモートワーク」は確かに流行語だが、その言葉が含む意味は大きく生活全体を考え直すことになるかもしれない。

 

・数日前に散髪のついでに立ち寄った本屋でまとめて購入した雑誌を少しずつ読む。『UOMO』の「試着フェス」はそのふざけた名称も含めて全てが自分(の世代)に向けられたメッセージであると強く感じる。POPEYEが持っている恥じらいが一切ないところが素敵。どうすれば試着フェスに参加できるのか。仕事の合間には『暮らしの手帖』を読み、家で居酒屋的な料理を創作したくなったならば『dancyu』の「ひとり呑み」特集を開く。少し余裕が生まれたら『現代思想』の「迷走する教育」特集も熟読したい。そうして今週後半11日(土)あたりには自分の研究を再開するのが目標。目標も記しておく。