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  映像研究

冬のある日

・202101132003。帰宅する京王線で今日の出来事を思い出してみる。久しぶりに朝からの業務。職場の最寄駅から職場方面にはエクセルシオール・コーヒーがあるが、可能な限り、職場方面とは逆の出口にある、ドトール・コーヒーの方へ行きたい。ドトール・コーヒーで「ツナチェダーチーズ」とコーヒーを買う。去年と一昨年の水曜日の朝はフランス語の勉強のため、やはり朝の時間をドトール・コーヒーで過ごしていたことを思い出す。少し過去の、しかしこの日々とは異なる、具体的にはコロナ禍と言われる以前の生活を具体的に思い出してみることがある。

 

・業務は主に複数の会議。今週後半は会議と打ち合わせがいくつも立ち上がりそのいくつかは「2021年度」について話される。自分はこの一年/次の一年をどう過ごすのか。色々な人にお伺いをたてながら、またお願いをしつつ、自分の時間を確保する方向で動いている。せめぎ合い。

 

・引き続き「蜂蜜」について考えている。通勤の電車で読んでいたのは、吉田忠晴『ミツバチの不足と日本農業のこれから』という本で、養蜂という一つの産業から、環境と経済の不均衡の問題が書かれていた。朝食べた蜂蜜の味を思い出しながらしかし、その蜂蜜がどのようにして、自分の生活に届いているのかと考える。ある意味においては、蜂蜜など、都市に住む自分が簡単に口にできるような物ではない。そのように考えることもある。

 

・二つの緊急事態宣言のあいだに考えて、今もなお考えていることは、この社会は自分が思っていたよりもより複雑だという、ある意味では当たり前のことで、その当たり前のことを腑に落ちて理解するまでに、きっと多くの人よりもかなり長い時間が必要だった。正義も誠実も誠意も一様ではあり得ない。そのことを確かに感じて、それでもなお、何かをメッセージする気があるか。そういう問いが浮かぶ。誰もがそういう問いと向かい合っているようにも思う。

 

・何かを判断する視点を定めることが難しい。以上のような体勢と作品と呼ばれる何かを積極的に見ようと思えないことには関係があるかもしれない。