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  映像研究

2011年9月11日の新宿

 

 



・昨日のナイト・ピクニックの余韻を残したままに本日は朝から西八王子の河原にて行なわれていたフェスティヴァル「みんなちがってみんないい」へ。途中で合流した高尾の夫妻とともにスモークされた肉を食べたり、うっかりアルコールの入った飲料品を口にしたりしつつ「色んな人がいるねぇ」というフェスの印象について話す。色々な国の人(らしい人)がいて、色々な国の料理のブースが出ていた。ステージがあって演奏をしていて、だけれどもそのステージの後ろでは、ステージとは特に関係なく集まって演奏する人たちがいた。大道芸人のような人もいた。その横を子牛を引いて歩いている子どもがいた。被災地の記録の写真を展示してたりもした。たまたま来ちゃった風情の若人もいた。色々だった。みんな違ってみんな良さそうだった。



・その後午後の業務へ。



・業務終了後に新宿で行なわれている「原発やめろデモ」へ合流する。いつもは山に登ったり、カレー屋で会って話したり、他の色々な場所でお酒を飲んだりしている色々な友達とデモの場で会って一緒に歩いたりすることにも慣れてきた。それはこの半年の自分の生活だ。デモに行くことは、日々うっすらと感じつづけている違和感を確認するという意味で、生活の中のアクセントのようなものになった。それはこの半年間生活しているうちに刻まれた、ある感覚で、それは多分きっと今、あるいはこれから先に、何かを考えたり、考えたことから行動したりする上での基礎になるのだろうな、ということをぼやっと考えていた。ぼやっと考えながら、デモ隊に合流するためにルートを追う。



・そしてまた、自分が今この場にいること、デモの一部分として歩こうとすることは、これまでに考えた色々なことによるものだと思う。例えば「メディア・アクティヴィズム」と呼ばれるような日本や世界各国の色々な出来事について学んだりしていた2008年があったりするからこそ、つまり、そのような時間や、人と話したことや、行った場所や、色々な物事があったからこそ、自分は今この場にいるのだなぁと思ったりする。その色々な物事は、物事の関係は、物事の関係の連なりは、自分にとっては、時々見えたり見えなかったりする道筋のようなものだ。



4月10日の高円寺があり5月7日の渋谷があり6月11日の新宿があり8月6日の銀座があり、そして今日がある。それは例えばこの5ヶ月の道筋のようなものだ。



・そしてデモンストレーションを歩く。しかしデモンストレーションを歩いてみたならば、基本的にはこの期間のいつのデモンストレーションよりも、殺伐とした印象があった。自分はデモンストレーションについて、それを「こうなったら良いな」という希望としての未来を、それが「希望」であることから、可能なかぎり楽しくアピールする行為だと認識しているけれども、そのようなあり方としてのデモンストレーションが、ちょっと行いづらい環境であると感じた。それはひとつには、歩くときの歩き方について、非常に厳しく警察官に指示されることによる、楽しく歩きづらいような感じ、に理由があると思った。



・自分は日本の社会のことも怪しいけれども、それ以上に日本以外の社会の、具体的な法律や、抽象的な「感じ」についてほとんど知識がないけれども、しかしながら例えばデモについて「日本は(他の国と比較して)非常に取り締まりが厳しいようだ」というような事柄を、人に聞いたり、タイムラインで見かけたりするたびに「きっと、そうなのだろうなぁ」と思う。思うけれども、それはさておき(他の国と比較するのはさておき)もっと基本的なこととして、ある主張を、広く公衆で訴える、あるいは訴えるほど声高でなくとも、まぁやんわりならやんわりなりに表明する、そのような行為がなかなか難しい、あるいは「難しそう」という感じてしまう、そのようなイメージを一般的に国民が持っているということが、一体どれだけの国益(と言ってみる)に適っていて、あるいはどれだけの国益(と言ってみた)を損ねているのか。素朴によくわからない。よくわからないので考える。考えつづけるだろう。



・それで、しかし、自分は、今回のデモや、あるいは4月10日以降の数回のデモを主催した、主に高円寺の「素人の乱」の人たちに対して、「感謝」とかではしっくりこないような、それでもやっぱり「有り難い」という気持ちをずっと感じてきた。この現実のデモンストレーションの場を、楽しく自由な場として、そして出会いの場として、あるいはその時々の状況を考えるための場として成立させるためには、いったいどれほどの工夫や、深い思考や、本当の意味での「クリエイティヴィティ」があったのだろう。想像しようとしてもすることができない。そして、そのような場で、自分や、きっと自分の周りの人たちも、今まで知らなかった大きな力を感じたことを、はっきりと覚えている。そしてその「力」を知った人、大袈裟に言うならば「その感じ」を刻み込まれた人たちは、それぞれが、それぞれの方法で、また別の何かを想像しようとするのだとも思う。これから先に。