&

  映像研究

写真

・201907041016。二周くらい(アマゾン、メルカリ)してヤフオクに戻っている、というデータはあるのか。ヤフオクでカメラを買い、アマゾンでフィルムを買う。昔のヤフオクは(とかいう言い方が差すのは2000年代はじめ)落札一つ一つに対してメッセージを送っていた。いまは定型文を提案してもらえる。というか特に何もしなければ定型文が送られる。特に疑問もない。定型文同士を送りあっている。私と誰かが会話をしていることになっているが、そういう意識はほとんどない。言葉は定型として、スタンプのように。そうでない言葉を弄ぶことが重要だと思うならば、別の場所に書く。

 

・高橋恭司の『LIFE GOES ON』は当時からずっと欲しくて、しかし買うタイングを失ったまま、時々古本屋などで見かけてはパラパラとめくる写真集だった。『ロード・ムーヴィー』とも『KYOJI TAKAHASHI』とも『MAD BROOM~』とも違うのは、印刷された写真がページに貼られていることで、ある時それは8×10のサイズなのではないかとふと思った。そうしてヤフオクで購入して気がついたのは、8×10のサイズよりは少しだけ小さいということだった。微妙に縮小されている。撮影されたフィルムよりも微妙に小さいサイズのイメージ。プリントであれ投影であれフィルムは拡大するためのイメージという考えがあるが、そうではないのかもしれないということ。

 

・大学に入った最初の頃の授業で8×10のカメラを扱う授業があった。それは半分以上は原理についての実演的要素が大きかったものの、カメラに直接コダックの印画紙を入れ、それを現像し(そのプロセスの記憶なし)、反転させたならば正像のイメージが映し出される(その感覚は覚えている)。その写真のイメージの「強度(というしかない)」は今でも自分にとって決定的なのだ。同じことはできないにせよ。では、ネガ/フィルムとは、何か。それはどういう物か。どういう状態か。

 

f:id:MRTR:20190704104938j:image