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  映像研究

20170806

 
・昨日で業務のひとつのタームが終わる。合宿のようなセミナー的な6日間のプログラムを終えていま。なんとか乗り切れた。色々な力を総動員してやっていると思う。チームワークと場所の力。チームの人たちのあらゆる経験知が状況を作るということ。あらためてイベントを作ることは楽しいけど難しい。そしてまた学生と呼ばれる人たちの色々な振る舞いに対して、これ全然伝わってないなーと思いながらも、一方では驚くほどクリアな反応があったりもする。そしてたとえその場で反応がなかったとしても、いつかこの時間にこういうことをしたことを思い出してくれるのではないかあるいは思い出しすらしなくてもどこかで何かの力になってくれるのではないか、という基本的にはロマンティックな気持ちでやっている。


・モンゴル料理屋で打ち上げつつ、そういうロマンティックなことも話していた。グルーヴとグループ・ワークについて。結論のないディスカッションを必要とすることについて。反応が鈍くとも折れないで歴史や生活から引き出したトピックを投げ続けることの意義。恥を捨てて図書リストを作ることの意味。この時代にオンライン上で名前を明かすことの意味。中央線沿いの喫茶店の地下室に集まることの意味。そしてそうした色々に話されたことから、これから断続的に到来する自分の夏休み的な時間についても考える。


・そしてスターバックスでテキストを打っているのだった。いまは2017年8月6日の日曜日、午後1時13分、14分。稲城スターバックスにもノートPCを開いて何事かをしている人たちが多くいて、その中でさてこれからどうしようかと思っている。


・夏休みの自由研究について。生活の全ては自由研究であるが、枠組みとしての「業務」「研究」のほかに設定した「夏休みの自由研究」は「写真を撮ること」だった。リコーのGR1にポジフィルムを入れて撮っている。フィルムを5本買って夏の間に撮り切るつもりだけれども、まだ1本しか撮っていない。数日前にその1本が仕上がってカメラ屋のライトボックスのテーブルに早速広げて見てみて「だめだなー」と思う。驚くほどだめな写真。予想はしていたけどここまでだめだと自由研究にもならないだろうと思って、ちょっとどうにか考えなければいけない。ヤフオクでスライドプロジェクターを検索する今。1998年の夏休みと全く同じことをやっている。