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  映像研究

メモ、日記のような映像

・まだ見ぬ映像を求めて。高橋恭司という写真家がアップロードした映像を見る。初めて知った。これは何か。一見して吉増剛造という詩人の映像とも似た印象を持ったが「似た」は重要でないだろう。時間が写されている。スナップショットとしての映像。ゆるゆるのようで、意味の入り込む余地のない、タイトな印象もある。でもともかく「こういう映像を見たい」とは思う。音もある。音のことを自分は全然考えていなかった。しかし「映像」と切り離して「音」などと言えるのだろうかとも思う。「映像には音があります」とか「映像と音の関係が、」とかは偽の問題かもしれない。記号の組み合わせとしては面白いのだろうけれども。カメラとマイクがある、ということでしかないのかもしれなかった。同様に「写真には動きがない」とか「写真には時間がない」という言葉もほとんど意味がない。それはわかった。

 


Kyoji Diary 恭司日々 8

 


Kyoji Diary 恭司日々15

 


Kyoji Diary 恭司日々 5

 


Kyoji Diary 恭司日々16

 


Kyoji Diary 恭司日々 7