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  映像研究

休日

 
・201711141306。中央図書館に戻ってきた。今日は休日であると思う。仕事がない日を休日と呼ぶかどうか。仕事をしなくて良い日は研究をする。本を読まなくてはいけない。各種の本。


・「住む」ことについて考えることもある。色々な人と会っていま何を考えながら生活をしているのか、「住む」ことについて何を考えているのか、聞きたい。


・論文を修正する作業をしている。厳密にいうと「しなければならないのだけど今ひとつ集中できない」。なぜこんなことをしているのだろうかと、ふと我に返るような気持ちもあるけれども、しかし今は書くべき時なのだと思う。


・日経のウェブサイトに木皿泉が書いたエッセイがあって、何本か読んで(月に10本まで読める)その言葉のはっきりとした示し方に惹かれた。木皿泉のドラマに出る人物は時々冷めてしまうほどに「迷いのない善人」であると思ってしまうけれども、そのエッセイの言葉はそれとは違った言葉だった。多くのエピソードに「死ぬこと」が含まれている。


・図書館のDVDのコーナーで床に寝転がって泣いている子供が不思議だ。


・去年の同じ時期の日記を読んでみるとやはり「学生と面談」という記述があり、だけれども今年は去年とはおそらく少し違った心持ちなのではないか。「即効性のあるアドバイス」から少しだけ撤退することで、話せることがある。あとは少しだけ話す速度を遅くする。意識しなくてもそうしている。テンションで圧倒するような話し方はしたくない。


・文章もそうなのだと思う。それらしいレトリックで書き進めたものを、もう一度冷静に読み直したならば、それを落ち着かせる必要がある。芯を通すようなイメージ。イメージは持っている。


・図書館のDVDのコーナーで床に寝転がって泣いていた子供の機嫌が良くなった。一瞬で気分が変わる。これも不思議だ。


・実家から米と柿が送られてきた。それは佐渡の母親の友人から送られてきた物が転送されて家に来た。米は嬉しい。いつか田植えや稲刈りをしてみたい。それは人生のひとつの目標かもしれない。かつて友人が「徴農制」というアイディアを口にした時には、その響きに具体的なイメージを想像できなかったけれども、今は少しそのことがわかる。「制度」というか、そのように「自ら思う」ことはどうしたら起こるのか。


・何よりも多分自分が学ぶ場に行かなければいけない。「教える」ことなんてできない。「場」について、もう一度それを考えるような環境に、自分で行かなければと思う。


・同時に「読むこと」を鍛える。


・中断して帰ってきて深夜。『あなたがいるなら』を聴いている。坂本慎太郎の言葉が良いと思う。