&

  映像研究

牡蠣みたいなウェブ・サイト

 
・牡蠣みたいなウェブ・サイトを見ている。鹿とかうさぎとかが寄せては返す波を飛び越えながら旅をするようなウェブ・サイトを見ている。28日に突如告知されたUのSTREAMを待ち望んで(ビールとおつまみを準備して)おお10時だと思いつつ見てみたならば15分くらいであっさりと(あまりにもあっさりと)終わってしまって、誰もが誰か、恐らくは、小沢健二という人が、歌を歌ったり、ギターを弾いたり、せめてもう少し何か喋ったりすることを期待していた人たち(自分も含めて)にとっては本当に謎の展開。その結果TLには、ぽかーん、としか言い様のない特殊な空気が流れてむしろ爆笑。


・それで、ぽかーん、はさておき、ちょっと落ち着いた深夜に牡蠣みたいなウェブ・サイトを横スクロールしてみて(波を飛び越えながら)「東京の街が奏でる」というテキストを見つけて読んでみる。UのSTREAMで「ともかくウェブ・サイトを見てください」と言っていたのはこれを読んでみてということだったのだろうかと思いながら読む。気がつけば一年半前ということになる2010年の「ひふみよ」と、2011年の東京という場所の今と、そしてニューヨークという場所の今について。色々なことが書かれていてそれを面白いと思いながら読む(ビールを飲みつつ)。

「官庁や国会を移動して、大銀行や大企業の本社を移動して、首都を移すことはできる。でも、ローカルな場所としての東京は、動かすことができません。つまり、花の一本残らず、川の水のすべて、人の暮らしのすべて、匂いのすべて、思い出のすべてを、他の場所に移動することはできない。」


・ローカルな場所としての東京、という言葉の新鮮さ。それは例えば『うさぎ!』で「グローバルな世界経済の中では『東京』は地方都市のようなもの(というような記述があったように記憶している)」と書いていたこととかとは、違った意味で、というかまた別の角度から書かれている言葉であるように思う。「東京」と口に出したときのニュアンス。あるいはそれは2011年の今「東京」と口に出したときのニュアンス? この時、この場所にいることでよく見えることもあれば、この時、この場所にいることでむしろよく見えないこともあるのかな?と、この時、この場所にいる自分はふと思ったりもする。


・とりあえず3月とか4月とかに「東京に来る人」がいたら「うち(オペラシティから約一時間程度)は泊まれるよ」と思いつつ、そういえばもう直ぐに11月が終わって2011年の冬が到来。そしてあっ、という間に2012年が到来する予感のただ中の今。